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Everybody’s Gone to the Rapture -幸福な消失-ストーリーの背景・設定の考察

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 明確な説明がなされない幸福な消失。このゲームは宗教とSFが絡みあったミステリー作品だ。人間ドラマを切っ掛けにプレイヤーに問いを投げ掛けている。

 最後に出てくる数列が全てであり、その他は蛇足であると感じるが稚拙ながら背景や設定を考察してみた。当然だがネタバレ含むので注意。
 

Everybody’s Gone to the Rapture -幸福な消失-の考察、ネタバレ注意!

 明確に数列として提示されたテーマの他に、幸福な消失と関連しているだろう科学と宗教、そしてSF小説VALISに関して簡単に記した。
 曖昧さを多分に含んでいるので参考程度に留めて欲しい。正直に言って物理学も神学も自分の手に余った。一からやるには難解すぎる。


数列が示したテーマ

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 幸福な消失が伝えたかった事は最後に出てくる謎の数列に現されている。数列はアルファベットを数字に変えた物だ。その文章はダグラス・ホフスタッターの書籍から引用されているとネットの海(2ちゃんねる)で知った。名も知れぬ知恵者に感謝しつつ、記させて貰う。


 人工知能の研究者であるダグラス・ホフスタッター。知能・意識の研究を行っている彼の言葉はとても哲学的である。

 人が死んだあとも、その残照は、側にいた人たちの脳の集合体に残る 。
 主要な脳がなくなった後も、残った人たちの中に、光の集合体は輝き続ける。

 確かにヨートンに住んでいた彼等の存在は、「光の集合体」(思い出)となってプレイヤーの脳で輝いている。このゲームを通じた「体験」としてはホフスタッターの言葉が全てだろう。


 

物語の背景を支える科学

ヨートンと天文学

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 イギリスでは17世紀の大航海時代に星を利用して船の位置を知るため天文学が発展した。その優れた英国製の海図は世界で使われ、イギリスのグリニッジ天文台が0緯度となった位だ。

 そんな天文学の伝統あるイギリスも電波天文学の誕生を機に変わり始める。電波干渉を処理して観測する電波天文学なら新しい宇宙の姿が見れたのだ。

 天体観測の立地に優れていたと思われるヨートンの地。キャンプ場もあり観光者も訪れていたことが伺える。そんなヨートンに造られた6基の天文台は、田舎町にとっては異物であり住人との間でトラブルになっていたようだ。

 ヨートンの天文台に配属された電波天文学の研究者であるアップルトン夫婦。夫婦は研究の最前線から離脱しており、ヨートンで結果を出し国際天文台であるラ・シヤ天文台への配属を目指していた。そんな夫婦の元に「光の集合体」は落雷と共に訪れたのである。

感染経路と症状

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 観測所から谷へと広がった「光の集合体」はヨートンで謎の奇病として鳥から始まり牛、そして人へと拡大していった。

 この奇病は電波(信号)を介しても感染し、磁性体である赤血球に宿り人間の精神を司る視床にて血腫を引き起こしたと思われる。その血腫の肥大に伴い頭蓋内圧が亢進。頭痛と出血が起こり感染者は死亡に至る。

 この「光の集合体」が起こした過程をスティーブンは攻撃と判断。封じ込めを目指し最終的には毒ガスの投下を要請する。
 対するケイトは人間を理解する際に起きた副作用だと考えた。そして「光の集合体」が発するパターンを解析し交信を試み、次第に「光の集合体」と同一化していく。
 

運命は蝶の形を模す

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 電波天文学者であるケイトが受け取った「光の集合体」が発するパターンは蝶の形に似ている。これは自然現象を始めとする複雑系(カオス)の象徴である、ローレンツ方程式を図にしたローレンツ・アトラクタと呼ばれるものだ。この蝶を模した図がバタフライエフェクトの由来となっている。

 カオス理論は起点が結果を決めると言う「運命論」に近い。起点に近いほど影響力が大きく、結果に近くなる程に影響は些細な物になる。どれだけ複雑な系となろうと、最も影響力がある起点が結果(運命)の範囲を決定するのだ。
 
 ケイトは、この運命を思わせる法則(パターン)の解析により、「光の集合体」との交信を目指したのだ。

 作中でケイトはパターンが傾くと時が止まる。そして「光の集合体」は時と蝶(パターン)を寄せ集める存在であると評している。
 
 この辺りから科学と宗教が交錯し始める。


救済の宗教観

終末思想

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 自分も含めて理解がズレる原因となったのは終末思想の部分だろう。終末思想とは患難の世からの救いであり滅びとは違う。ミケランジェロが描いた「最期の審判」が分かりやすい。患難の世に神が再臨しクリスチャンの携挙(救済)と審判を行うのである。

 幸福な消失はマタイによる福音書 24節を踏襲している。それによると患難とは病や戦争だけでなく、人と人との憎しみ合い、互いの裏切り、愛の冷え込みも含まれる。これに耐えた者が救われるとある。
 幸福な消失における人間ドラマの部分は患難の世を表しているのだ。


携挙(ラプチャー)

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 携挙は稲妻と共に始まり、天体は揺り動かされ、選民は東から西へと広がっていく。
 携挙とは救済であり、主(神)との一体化である。肉体から解き放たれ主と出会い、不死を得た後に体の甦りを経験する。つまり、イエス・キリストと同じことを成し得るイベントなのだ。

 登場人物たちは患難の世を耐え肉体を解き放たれ不死を得たのである。ちなみに携挙は敬虔なクリスチャンのみが得られる救いであり、異教徒や信仰が足りない場合は患難の世に残される。
 言及されないので不明だがヨートンの住人全てが救済された訳では無さそうだ。
 
 この辺りから科学と宗教が合わさった哲学の世界へ足を踏み入れている。



物語の中心にあるVALISの哲学

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 六基の天文台を設置している「VALIS」はSF小説の名前から拝借していると考えられる。

ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 VALISは 「Vast Active Living Intelligence System」の略称であり、「巨大にして能動的な生ける情報システム」と訳される。これをSF小説VALISでは「宇宙意志」としている。
 「光の集合体」はカオス理論の「パターン」を示す能動的で生命を思わせる存在であり、SF小説VALISで示される「宇宙意志」に近い。
 幸福な消失に登場する「光の集合体」は主(神)と言うより「宇宙意志」なのだろう。

 
 ちなみにSF小説VALISは未読なので、下記の書評を参考にさせて頂いた。そこに本文の抜粋が有ったので引用する。
 http://showhyuga.blog.eonet.jp/.s/blog/2014/07/pk-d800.html

 
 僅かな文章だが、幸福な消失におけるヨートンの状態やプレイヤーに関して見えてくる。


1.何故肉体が光になるのか

不死性、時間と空間の廃止は、ロゴス(言)やプラスマテ(魂)を通じてのみ実現される。それだけが不死なのだ。(P189)

 この一文で幸福な消失に関しての理解は深まった。ロゴスに関しては「ヨハネによる福音書」で「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。この方に命があった。その命は光であった。」と記されている。

 まず、万物は神に作られたと言う前提がある。だから物として存在する前に概念(ことば)が必要なのだ。つまり、肉体や命はロゴス(ことば)によって作られており、物を定義する(創る)ロゴスとは神自身でもあるのだ。この辺りは「三位一体」として神=キリスト=ロゴスと言う関係性にも繋がるのだが長くなるので割愛する。

 肉体は命であり光である。そして幸福な消失でロゴスに当たるのは「パターン」だろう。
 つまり肉体と命は光と変わり「パターン」として「宇宙意志」である「光の集合体」と同化するのだ。つまり、作中の光に変わる表現は正に携挙の表現だったのである。

 

2.世界はプラスマテ(魂)が見ている

宇宙は情報でわれわれはその中で不動であり、三次元ではなく空間にも時間にもいない。与えられた情報をわれわれは現象界に実体化させる。(P186)

 私達は時間や空間と言う情報を与えられる事で世界を認識している。脳と情報だけの世界を描いた映画「マトリックス」を思い出すと分かりやすいだろう。
 小説VALISでは魂として私たちは不動の存在だが、情報を得ることで活動していると錯覚していると言うのだ。SFでありがちな、「見ている世界が実在すると、どうして言い切れる?」って奴である。

 確かに私たちが実在するとする根拠は主観的で余りに乏しいである。妄想や幻視・幻聴・幻肢が良い例である。これらは本人には確かに存在すると感じるのだ。
 

3.観測者でしかないプレイヤー

ぼくたちはどこにいて、いつにいて、だれなんだろう? (P199)

 プレイヤー(あなた)は一体何物なのか?これが幸福な消失の二つ目の主題だ。
 プレイヤーは観測者として時間が廃止されたヨートンの地を巡る。空間の概念は残っているので「光の集合体」の中では無さそうだ。
 第三者の視点でありケイトが「光の集合体」を通じて見たと思われる世界とも異なる。そもそも、あの世界は本当にヨートンなのかも不明だ。これは問いかけであり、きっと答えは無いだろう。


 作者であるフィリップ・K・ディックは小説VALISを記した時には精神病質だったと評されている。自身の存在に疑念を抱いてしまった彼の不安は計り知れない。
 精神病と呼ばれる疾患は程度の差はあれど、社会から見て「自他を正しく観測できない」から病気とされているのだ。
 他人の感情が分からない、他人との距離感が分からない。自分の感じる世界が他者とズレている。これは人が抱える苦難だ。同一化に救いを求めるのは当然なのかもしれない。

終わりに

 幸福な消失を機に様々な作品を楽しむ上で、キリスト教の価値観は避けて通れないと痛感し調べることにした。
 小難しい考察以前に、こう見て欲しいと言うメッセージに気が付けないのは勿体無いからだ。
 宗教や信仰と縁遠い日本人でも、事があると「何か」に祈るのは変わらない。「何か」が天だったり違う神様と言うだけの話だ。
 その接点を中心に価値観を擦り合わせていった。それでも表面をさらっとなぞるだけで精一杯で、まとめるのも苦労した。なんとか形にした方だとは思う。

 途中でブラッドボーンやアンティルドーンにも通じるところがあるな。とか、エヴァンゲリオンの人類補完計画って携挙だったのか!なんて思ったりもした。
 幸福な消失だけでなく、他の作品を楽しむ上での足しになってくれたら幸いだ。

 いやあ、しばらく物理とか数式はこりごりだ。結局、数式が示す解には辿り着けなかった。残念。
 


EVERYBODY'S GONE TO THE

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