人生はFPSゲーム。時々哲学。

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【評価/感想】錯視パズルで脳を固定観念から解き放て『Superliminal』レビュー

 『Superliminal(スーパーリミナル)』は『トリックアート』の理論を利用したパズルゲームだ。

 プレイヤーは夢を利用した『Somna Sculpt療法』と呼ばれるテストに参加し、遠近法錯視を利用したパズルを頭を捻りながら解いていく。

 人に薦められゲームの冒頭を動画で見た瞬間、「こりゃ自分でやるしかない!」と動画を中断し衝動買いした。

 実際にプレイしたらどうだろう。錯視を利用した刺激的なギミックや演出に「そう来るか!」「やられた!」「・・・すごい」と思わず独り言がこぼれるほど熱中した。

『Superliminal』は人に薦めたくなる一本だった。


 

何故、人は錯視を起こすのか

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 ゲームに触れる前に少し視覚と脳の話をしよう。

 視覚は大きさ、形、色、明暗と五感で最も情報量が多く、解釈によって成り立つ意識体験だ。

 意識体験とはどういうことか。例えば誰しもリンゴの文字を見て脳裏に映像を浮かべることが出来るだろう。

 人はリンゴが持つ色、形、大きさといった視覚情報を、脳内で統合してリンゴという概念に変換している。

 だから実物を見なくても脳内でリンゴの映像を想像できるし、見る角度や大きさが変わってもリンゴだと認識できる。

 逆に脳ではリンゴという概念に色、形、大きさ等の情報が紐づけられているとも言える。


 脳は視覚情報をリンゴの概念と視差を組み合わせ、空間的に辻褄が合う配置として認知する。
 
 例えば同じリンゴでも近くなら大きく見え、逆に遠くなら小さく見える筈、そう脳は認識している訳だ。


 これを遠近法錯視と呼び『トリックアート』や『Superliminal』は、この認識を利用している。

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奥に続く様に見える通路も

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実は手前に飛び出るオブジェだったりする

 この遠近法錯視を使った映像が面白い。私はゲームのパズルと言うと面倒くさいイメージがある。それは一重に解くことに重きを置いてるパズルが多いからだ。

 その点『Superliminal』のパズルは鑑賞する楽しさがある。それも『トリックアート』なので「芸術とか分からん!」という私でも十二分に楽しめるので有難い。


奇妙で不思議な『視点の空間』

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 そろそろゲームの話に移ろう。

 『Superliminal』のステージ構成は、冒頭でルールを確認し遠近法錯視を利用したパズルを解く流れになっている。そのパズルを解く鍵となるのが、無限に届く見えない手である。


 本作は3次元空間をFPS視点で進む。ところがプレイヤーが物を掴み離す瞬間だけ奥行きの概念が無くなり、遠近法錯視に合わせ3次元空間も変化する。

 この3次元と2次元を行き来する奇妙な感覚の世界を、作中では『視点の空間』と呼んでいる。


 ここで『視点の空間』が持つルールの一つを紹介しよう。作中に登場する箱は掴んで放す度に、遠近法錯視のルールに沿ってサイズが変わる。


 箱を遠くに置くほど大きくなり、近くに置くほど小さくなっていく。その変化を利用し高所へ登ったり、遠方のスイッチを起動するといった具合だ。


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遠くに置けば大きくなり

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逆に壁の傍などで離せば小さくなる


 この『視点の空間』を利用する発想力を問うパズルや雰囲気から、私は名作パズルゲーム『Portal』(ポータル)を思い起こした。


 もし登場する『ピアーズ博士』が『GLaDOS』の様な愛すべきキャラなら、より印象に残る作品になっただろう。


自分の固定観念が崩れる快感

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 題名にあるliminalを調べると識域とある。その意味は意識の出現または消失の境界、意識域で、subliminal(潜在意識)に含まれている言葉だ。

 私は『Superliminal』という言葉に、潜在意識にある固定観念を越えろというメッセージを感じた。


 実際プレイ中、私は視点を変えようと「固定観念を捨てろ!ぶっ壊せ!」と念じながら頭を捻りパズルに挑んだ。

 しかし解けないときは本当に解けない。潜在意識にある遠近感を始めとした、慣れ親しんだルールを捨てるのは至難の業だった。


 あの手この手と試し悩んだ末、ふとした切っ掛けで答えが閃いた時、目の前がパッと開けるような感覚に包まれる。


 これは固定観念が壊れた成果が視覚的に実感できるのも大きい。正に答えが「視える」のである。
 
 その驚くべきパズルと演出の数々に、製作者の発想力に思わず感嘆の声が漏れてしまう。

 全てのステージをクリアしたとき、私にとって『Superliminal』はパズルの面白さを語る上で基準の一つとなった。

 

視点が変われば意識も変わる

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 ここからは一部の演出やエンディングのネタバレに触れる内容になるので注意されたし。






 全ての問題を解きエンディングを迎えると『Somna Sculpt療法』の目的が語られる。その一部を抜粋する。

 「失敗を恐れて、新しい視点から問題を見ようとしないことが問題なのです。」

 「人生は常に苦難であり、問題は絶え間なく生じてくるでしょう。」

 「そこで不可能に思われる障害に直面することになりましたが、あなたは型にとらわれずに考え、それを克服しました。」

 その理念を体現する、遠近法錯視と先入観を利用した魅惑のパズルの数々は素晴らしかった。

 散々『視点の空間』が支配する世界であるとメッセージを送られても、なかなか自分の中にある先入観を壊すことは難しい。


 例えば夜空に輝く満月。部屋に入り掴める物を探し、辺りを見回しても見つからない。
 途方に暮れ夜空を見上げると、遥か宇宙の彼方で輝く月が目に入る。答えは最初から目の前に有ったのだ。


 例えば暗闇に浮かぶ赤いペンキの手形。急な転調に思わず歩みは止まり、不確かな情報にも関わらず血痕と思い込んだ。
 そして恐怖から目に写る情報が、惨劇の痕跡である確信を強めていった。


 人は物事を見たい様に見てしまう。自分の先入観に気付かされる演出の数々に、何度「やられた!」と膝を打ったことか。


 ただ本作のエンディングは、エンターテインメントのオチとしては堅苦しく、教育的過ぎて面白味に欠ける。プレイを終えた報酬として物足りない。


 だが医療の側面から見ると興味深いエンディングだった。

 それは近年は『デジタルセラピューティクス』と呼ばれる、アプリ等を利用したメンタルヘルス医療補助ソフトの開発が注目されていることに起因する。

answers.ten-navi.com


 本作の『Somna Sculpt療法』はメンタルヘルス領域で行われる「認知行動療法」に通じる。

 例えば「うつ病」では思い込み(認知)から否定的な思考や行動パターンを繰り返す悪循環へ陥りやすい。

 そこで施術者は患者と共に日常生活における課題を検証し、患者が抱える偏った考え方や受け取り方に気付く切っ掛けを与える。

 その後、課題解決の実践と検証を進めながら、患者の認知と現実の乖離を修正していく。

 これが「認知行動療法」であり、多彩な視点で問題に取り組ませる『Superliminal』の在り方と近い。こう考えると堅苦しいエンディングにも納得できる。


 もちろん『Superliminal』はゲームであり、医療アプリではない。それでもゲームが持つ医療利用の可能性を感じさせてくれた。

【評価/感想】踏ん張るに驚き、いいねで夢中になる『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』レビュー

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 繋がりをテーマにした小島英雄監督の『DEATH STRANDING(デススト)』は驚きの連続だった。


 当初は荷物を配送し分断したアメリカ大陸を繋げるゲームと、設定を聞いてもピンとこなかった。


 そんな一抹の不安はプレイした瞬間に吹き飛ぶ。実に面白い。


 どこか漂う孤独感と妙に高まる集中力。寂しさとは違う、自分と言う個を意識する瞬間。プレイして登山の思い出が甦った。


 そこでストーリーのネタバレ無しで、ゲームの面白さを紹介したい。

思わず膝を打った『踏ん張る』の発明

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 死後の世界と繋った影響でデスストの世界は荒廃している。平坦に見える大地でも、いざ歩いてみると小さな起伏に満ち快適とは程遠い。


 そのプレイを拒絶する様な地面が、脚で『踏ん張る』操作一つでゲームに変わっていた。


 最初、私は『踏ん張る』ってなんだ?と思った。もちろん言葉としては分かるのだが、ゲーム内で踏ん張るイメージが持てなかったのだ。

 ジャンプでもダッシュでもなく、『踏ん張る』である。字面からしてビックリ。ところが実際に操作すれば分かる。確かに『踏ん張る』なのだ、と。


 ノーマン・リーダス扮する主人公サムは、起伏が激しい地面を歩くとフラフラと体勢を崩す。

 このままでは転倒し背負った荷物が壊れてしまう!だから踏ん張り耐えながら進んでいく。
 
 左にバランスを崩せばL2で踏ん張り、右に崩れればR2で踏ん張る。その場に留まりたいときは、L2R2を押し両脚でしっかり踏ん張るといった具合だ。


 こう書くと、特定の地形で左右のバランスを取らされるイベントを想像するだろう。フラフラと左右に揺れるだけで別段面白くもないし、失敗すると腹が立つだけ。私は余り好きではない。


 ところがデスストはどうだ。トリガーを押し込み踏み耐える時は、思わずコントローラーを持つ手に手に力が入る。絶壁ギリギリで踏みとどまれた時の興奮と安堵はアクションゲームさながらだ。


 考えてみれば足場の確認や踏ん張りは、日常で絶えず無意識に行っている行為。転倒の恐怖は脳が知り尽くしていた。

 そのためか踏ん張りは意外にも苦にならず、むしろ悪路を踏破する達成感に満ちている。この感覚は正に登山のそれだった。


そして歩荷の試行錯誤にハマる

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 プレイヤーは配達人サムとなり、様々な配送依頼を受ける。その核にあるのが『歩荷』である。

 歩荷と荷物を背負って運搬することで、かつては山岳等で流通を担っていた。


 依頼を受けたら先ずは配送品の確認だ。依頼の品を無傷でかつ速やかに届けてこそ配達人である。

 大きさ、重さ、嵩張り。依頼の品の特徴により難易度は大きく変わってくる。重量が増せばスタミナ消費の影響が大きくなり、荷物が嵩張るとバランスを崩しやすい。


 次はルート選びである。最短ルートの山越えか、無難に迂回し平地を進むか地図を眺め、配達の過程を想像しながらガジェットを選んでいく。


 ところが不測の事態に備えアレコレ持てば荷物は高く積み上がり、スタミナ管理やバランス調整が難しくなる。

 つまり踏ん張りが効かなくなるのだ。道中を楽にするはずのガジェットが、状況次第で不利に働くのが面白い。


 配送準備を終え、いざ出発すれば想定外の事態の連続である。


 想定した地形と異なることは珍しくない。ガジェット無しでは越えられない地割れや川、通過するには危険な勾配、スタミナを奪う荒地と困難の連続である。

 また一見安全なルートかと思いきや、荷物を狙う輩に遭遇することもある。もし足を踏み入れた土地が死者の領域なら、命懸けの「かくれんぼ」の始まりだ。


 障害をどう乗り越えて進むかも含め、配送の攻略法はプレイヤーに委ねられている。

 私はひたすら山越えルートを選んだが、堅実に依頼をこなすもよし、効率や速度を求めるもよし。好きに運ぶ自由がある。

 そのルート決定に多大な影響を与えたのが『いいね』の存在だった。


プレイヤーを動かす『いいね』の誘惑

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 『踏ん張る』の発明も凄いのだが、恐ろしいのがゲームが用意した報酬にある。それが『いいね』だ。

 本作は緩いマルチプレイ要素があり、他のプレイヤーの建造物やガジェットが利用可能だ。*1『いいね』は、その際に感謝を送れるシステムで、受けた『いいね』の数は評価項目の一つになっている。


 最初は孤独な配達が続いた。大地には多くの落とし物が散らばり、荷物が増えればガジェットも十分に持てなくなる。


 次第に全てを独りでやるのは困難だと気付く。


 そんな時に目の前に現れる誰かの梯子。「助かった!この人もこのルートを選んだのか」と妙な親近感を覚えながら『いいね』を送る。

 程なくして自分が設置したロープに『いいね』が送られてくる。ちょっと嬉しい。


 この自分が苦労して開拓したルートを誰かに評価される喜び。それはアメリカ再建が進む程に加速していく。

 なにせ歩荷という古い運搬方法で踏ん張りながら配達していたのだ。復興で橋や道路が開通し、配達に車両が使える喜びは格別である。

 中でも舗装された道路はいい。運転を邪魔する岩石は無く、頭を悩ませる崖も川も軽やかに越えられ爽快だ。

 文明って素晴らしいと心の底から思うだろう。自らの実利もあり積極的に復興に協力したくなる。


 だから復興中の国道にプレイヤーと共に大量の『いいね』が集まってくる。

 それは序盤では考えられなかった大量の『いいね』だ。そして『いいね』がプレイの報酬として働き始める。

 他のプレイヤーから貰う『いいね』はSNSが与えてくれる承認欲求を満たす快感に通じる。例えるならTwitterでバズって嬉しいのと一緒だ。


 あなたの行動に助けられました!と画面に並ぶ『いいね』の通知が、難所におけるルート開拓の原動力となり配送の効率化が進んでいく。

 このプレイヤー同士の感謝でアメリカが繋がり復興していく様が、デスストの物語にリアリティを与え、物語に入り込んでいった。


次第に体験と物語が繋がっていく

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 私の中でデスストは移動がプレイの大部分を占める『ウォーキングシミュレーター』と呼ばれるジャンルの先に位置する作品だった。

 例えば『Everybody's Gone to the Rapture –幸福な消失–』や『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』の様な作品である。

 このジャンルで特徴的な移動の作業感を嫌う人は少なくない。

 この欠点を補い進化していく先は『Déraciné(デラシネ)』の様な両手を持ち込めるVR作品だろうと私は考えていた。

 だからデスストの踏ん張るが持つ直感的な表現に衝撃を受けた。


 デラシネが手で掴む操作でプレイヤーにゲームと繋がりを感じさせるのと同様に、踏ん張り地面を踏みしめる操作でプレイヤーをゲームへ繋いでいた。

 
 そして配送の積み重ねが、物語や心情に説得力を与えていくのが心地よい。


 このプレイせずには伝わらないデスストの魅力はVRゲームによく似ている。

 もしあなたがデスストに興味を持ったならプレイするに限る。なにせ手軽に登山の苦楽が味わえるのだから。

*1:後発のプレイヤーでも存分に開拓が楽しめる調整が入っているので心配いらない。

【評価/感想】PSVRで2丁拳銃をぶっ放せ『ライアン・マークス リベンジミッション』レビュー

VR版『タイムクライシス』である『ライアン・マークス』

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 子供時代に映画などの影響を受け「拳銃ごっこ」を楽しんだ人は少なくないだろう。そんな空想を形にしてくれたのが『タイムクライシス』を筆頭としたガンコンゲーム達だった。

 時は流れ世はVR黎明期。『PlayStation VR WORLDS』の一つ『ロンドンハイスト』はVR空間で両手を使った映画的な演出とガンアクションを提示し、一歩進んだ「拳銃ごっこ」の世界を見せてくれた。


 『ライアン・マークス リベンジミッション』は、そのシステムと世界観を継承し洗練させた作品となっている。


VRらしい映画的ガンアクション

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 本作のガンアクションは『タイムクライシス』のVR版に近い。自由移動できずカバーポイントから体を出し撃ち合い、敵を全滅させると先へ進む形をとっている。


 主人公ライアンは特殊部隊あがりで、腰には2丁のハンドガン、背中にライフルなどのメインウエポンを2種類と重装備。メインウエポンの弾が切れたら、ホルスターからハンドガンを抜き早撃ちといったプレイも出来る。


 自由移動こそ出来ないが、カバーポイントではVRらしくホルスターからハンドガンを抜き取ったり、リロードに両手が必要だったりと多彩な操作が可能になっている。




 極めつけが両手持ちの効果である。両手持ちと言っても2丁拳銃のことではなく、両手で銃を持ち構えることだ。


 これが「拳銃ごっこ」にバシッとハマる。映画の主人公みたいに腰から素早くハンドガンを抜いたら、銃を両手で構え進み、サイトを覗きながら敵を撃ち抜く。そして左手で素早くマガジンを取りリロードし次の敵に備える。


 この全ての動作が噛み合い華麗に撃ち抜きとリロードをキメれば気分は『ジョン・ウィック』。語彙力は低下し楽しいの一言しか出てこなくなる。


VRを生かしたスタントアクション

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 アクション映画で忘れちゃいけないのがスタントである。作中でライアンも『ミッション:インポッシブル』や『ダイ・ハード』を彷彿させるスタントを決めてくれる。

 ビルの壁面にあるパイプを登り敵の裏をかいたり、犯罪の証拠を得るため埃まみれの通気口を這いずまわる。挙句の果てにクレーンが衝突し崩壊するビルから飛び降りると、王道の展開が詰まっている。

 中でも私が面白かったのが通気口を進むシーンだった。様々な映画やゲームで何度も見た通気口を進むシーン。VRとは言え体験する機会が訪れるとは思わなかったのだ。

 交互に両手を使い狭い通路を進んでいく、もちろん途中で格子の間から様子を窺ったりとお約束も忘れていない。ここでVRで描かれる空気感が効いていた。

 本作は空気の実在感が凄い。煙や埃、粉塵といった粒子が空気中を漂っており、空間の奥行きを強く感じるのだ。だから一見地味に見える通気口でも面白い。

 差し込む光によって埃が浮き上がる通気口を進んでいると、「これがイーサン・ハントの視界か!」となり『ミッション:インポッシブル』のテーマが頭に流れてくる。

 「拳銃ごっこ」の次は「スパイごっこ」ときた。かつて男の子だった時代を思い出さずにはいられない。


欠点を補う魅力に溢れている。

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 実のところ欠点は少なくない。ストーリーや登場キャラクターは魅力に欠けるし、VR体験の詰め合わせの様な余計なイベントも散見される。自由移動できないので敵AIが引っ掛かると狙えず、進行不可となりリトライすることも数回あった。

  しかし技術デモ版『ロンドンハイスト』の製品版だけあり、コア部分の楽しさは極まっていた。2本のMOVEコントローラによる両手を使ったガンアクションやスタントは欠点を補うに十分な体験である。

 少なくともゲームで「拳銃ごっこ」を楽しみたい人の期待に応えてくれる。童心に帰り、思いっきり格好つけながらプレイしたい。その際は座位でなく、是非立ち上がって楽しんで欲しい。

 

【感想/評価】ダクソ風デザインの4人COOPが売り『Hell Warders(ヘルワーダー)』レビュー

4人協力プレイが楽しい『ヘルワーダー』

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 人気作品の『ダークソウル』や『ブラッドボーン』を感じさせるデザインが魅力のタワーディフェンスで、最大4人で協力プレイが可能。

 攻めてきたデーモンを蹴散らし平和を取り戻せという、単純明快な物語で気軽に楽しめる。

 インディー作品なのでモーションの種類やボリュームこそ控え目だが、ソウルシリーズが好きな人を楽しませたいという気概が伝わってきた。


ダクソ風デザインが最大の魅力

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 中世風ファンタジー作品の中でも屈指の人気を誇るソウルシリーズ。そのデザインやゲーム性は多くの作品に影響を与えてきた。

 本作『ヘルワーダー』もその一つであり、キャラクターデザインにソウルシリーズへのオマージュが感じられる。

 かつてダクソで共に戦ったフレンドとプレイすれば、「ダクソ楽しかったよなあ」と懐古すること請け合いである。

 なにせ「お前、ダクソに居なかった?」と突っ込みが入りそうな奴らがチラホラ出てくる。ステージの最後に巨大なボスが出てくるのも、それっぽい。

 甲冑や拷問器具を中心としたダークファンタジーらしいデザインが好みなら十分楽しませてくれる。
  

終盤に感じる難易度調整の難しさ

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 ゲームデザインとしては奇をてらわない王道。アクションゲームとしてもタワーディフェンスとしても、無難な出来に仕上がっている。

 アクションゲーム担当となる3人のキャラクターはアビリティを使いながら、ピンポイントで火力を出して防衛線を補佐する役割を担う。

 もう一つの主役が防衛線を張る近接・遠距離・魔術に分けられたユニットである。

 戦線維持の近接ユニット、広範囲をカバーできる遠距離ユニット、足止めや弱点を突く魔術師ユニットを組み合わせ、攻寄るデーモンたちから防衛目標を死守するのだ。

 プレイ感覚としては、ユニット配置し三國無双の如くボタン連打で敵を蹴散らす爽快感重視のアクションゲームだった。

 問題はバランス調整である。タワーディフェンスの難易度調整は敵の種類を増やす、量を増やすが王道の手段だ。それを多彩なユニットを用いて迎え撃つのが醍醐味である

 しかし終盤に差し掛かるとアイディアが枯渇したのだろう。敵デーモンの追加は強化版が目立つようになり、この辺りから配置を考える楽しさより面倒くささが勝ってくる。

 デーモン達はダクソの周回プレイの如く、より硬く、より速くなって雪崩れ込んでくる。

 ところが残念ながらダクソの様な学習による楽しさは乏しく、失敗が続くと徐々に徒労感が出てきて面倒になってしまう。

 素材は悪くないが、終盤でプレイヤーの意欲を高める歯車が一つ足りなく空回りしているのが惜しい。

フレンドとやれば楽しいを地で行く作品

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 なんだかんだフレンドと一緒に騒ぎながら遊ぶには悪くないゲーム。何分、手軽にフレンドとCOOPを遊べる作品は少ない。

 晩酌片手に談笑しながら遊ぶゲームを求めるなら、本作は十分役割を果たしてくれるだろう。

 残念なのは4人COOPなのにプレイアブルキャラが3人しか居ない点。クリスタルを守る女性キャラクターをプレイアブルキャラとする予算が尽きたのだろうか。

 おっぱい魔術担当で彼女が参加していれば、また違った評価に繋がったかも知れない。つくづく惜しい。

【感想/評価】疫病ネズミの大群が姉弟を襲う『A Plague Tale: Innocence』(プレイグテイル)レビュー

中世の黒死病を描く『A Plague Tale』

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 『A Plague Tale: Innocence (プレイグテイル)』は黒死病の災禍に見舞われたフランスを舞台に、姉弟の過酷な運命を描いた意欲作だ。

 題名にあるPlague(プレイグまたはプラーグ)は黒死病(ペスト)のことである。

 時は14世紀、世は暗黒時代。欧州を襲った黒死病(ペスト)は大流行し、人口の2/3相当の3000万人が死亡する未曽有の災害となった。

 貴族の子である姉の『アミシア』と弟の『ヒューゴ』は両親や使用人と共に疫病から離れ静かに暮らしていた。

 しかし、平和は突如として過ぎ去る。謎の軍隊に屋敷を襲われ姉弟は二人きりの逃亡を余儀なくされる。 


バディ×ステルスで姉弟の絆を描く

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 無垢な美少女と美少年が、突如として疫病と死が蔓延する暗黒時代のフランスに放り出される。

 幼き弟を守るため気丈に振る舞う姉の『アミシア』と、幼い故に素直に感情を表現する弟『ヒューゴ』の関係の変化が見所。


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 海外作品のキャラクターは写実的過ぎてちょっと苦手な人も安心の美男美女揃い。

 そんな美形姉弟が、フェルメールやブリューゲルといった名画をモチーフにしたステージを背景に悲嘆に暮れる。

 悲惨ながら目が離せない魅力がそこにあり、心を掴むだろう。


 ゲームデザインは『The Last of Us』や『ゴッド・オブ・ウォー』の様なバディ(相棒)と協力しながら進むシステム。


 物音を立て敵を誘導し隙を見て通り過ぎたり、『アミシア』が通れない狭い場所は『ヒューゴ』に頼んでパズルを解く流れとなる。


 システムが似ていると言っても『アミシア』は非力な少女。屈強なサバイバーや神殺しのハゲみたいな激しいアクションは無理な相談。

 そこで『アミシア』は投石紐や環境を利用して敵を誘導したり排除することになる。


 序盤こそ手札は少ないが、中盤から錬金術を使った特殊な弾丸が増え攻略に幅が出てくる。振り返って他の攻略法があったと気付くことも少なくない。


 直接手を下すとアイテム消費が加速し装備強化に支障が出る、避け続ければ発見のリスクは高まっていく。かといって安易にネズミを利用すれば自身にも危険が及ぶ。

 ステルスやパズルに新鮮さは無いが、魅力的な風景のステージも多く飽きさせない工夫がなされている。むしろ思ったよりゲームらしい作りで驚いた位である。


おぞましいネズミの群れは一見の価値あり

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 直近に『ワールド・ウォーZ』や『Days Gone』といった大量のゾンビを描写した作品が続いたが、本作のネズミもゾンビに負けず劣らずの見境なく肉を貪る獰猛なモンスターに仕上がっている。

 しかし意外とホラーやグロと言った要素は控え目で、不潔さの表現の方が目をひいた。「そんなとこ歩きたくねーな」と思わせるシーンが頻発する。感染症がテーマの本作として不衛生への嫌悪感を呼び起こしているのが素晴らしい。


 特に赤い目を煌めかせ蠢くネズミたちの姿はゾンビの群れなど比較にならないほど気色悪い。シーンによってはゴキちゃんに見えてくる始末。ゲームと言えど近づきたくない。

 その凄まじい数の群れに囲まれると「トライポフォビア(集合体恐怖症)」と名付けられた心理状態になる。具体的には『蓮コラ』を見た時に湧き上がる嫌悪感・恐怖心である。

 一説によると「トライポフォビア」の原因は、人の深層にある感染に対する恐怖が元だと言われている。つまり集合体が感染によって起きる湿疹や疱瘡といった皮膚感染症を想起させるのだ。

 ペストになると皮膚に膿疱や出血班ができ黒いあざだらけになって死ぬ。これがペストが黒死病と呼ばれた由来である。真っ黒なネズミの群れを見て湧き上がった感情が、ペスト感染者と対峙した時に通じていると考えると面白い。


 

細部の違和感が没入感を削いでいる

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 中世フランスの美しい風景や美形姉弟は眼福だし、怖気を誘うシーンは数知れず。映像に惹かれた人は間違いなく満足するだろう。

 しかし、どうも物語とゲームプレイの噛み合わせが悪い。効率的な攻略を模索し始めると物語が纏っている緊迫感や恐怖が薄れてしまうのだ。

 その最大の原因が敵AIの貧弱さである。本能に忠実なネズミは許せるとして、兵士諸君は揃ってゾンビ並みの脳みそときた。真横で物資を漁っても気付かない無能さに思わず失笑してしまう。

 兵士がネズミの群れの中を平気で闊歩するのも印象が良くない。無情な殺戮者として描かれる序盤は良いとして、中盤の目玉となるネズミへの反応が薄くプレイヤーの気分も醒めてしまう。

 かくしてゲーム脳にスイッチが入り攻略モードに入るとおしまいだ。あからさまにゲームキャラとして振る舞う兵士を前に、殺人を咎める『ヒューゴ』の呟きも、どこか白々しく聞こえてくる。

 ここらはネズミの群れが与える嫌悪感や『アミシア』達が見せる恐怖の反応が良いだけに残念である。もう少し兵士にも人間味を感じる怯えのサインが欲しかった。これじゃあ殺し甲斐もない。


PS4の日本語版は発売はするのか

 とりあえずsteamでは日本語字幕の配信がされましたが、現時点では海外PS4版には日本語字幕の配信は来ていません。

 韓国語やフォトモードの追加はsteam同様に配信されているので、どこか企業がPS4国内版の権利を手にし日本語字幕の配信を制限したのかも知れません。

 今のところ特に情報はないですが、そのうち国内流通版も出るかもしれませんね。


ネタバレありのストーリー感想

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 ここからはネタバレ感想。


 本作は一部で期待されたような史実に則した社会派の作品ではなく、ペストをテーマとした娯楽映画的なモンスタークライシスとなっている。

 ペストは当時「呼吸しただけ、目を見ただけでうつる」と恐れられた疫病。

 目に見えない感染症の恐怖を期待したが、思った以上のファンタジー調で肩透かしを受けた感は否めない。


 映画のチラシだったら「歴史の影に埋もれた衝撃の真実!」「暗闇に気をつけろ!奴らすぐそこにいる!」とか煽り文句が付いてそうな物語である。


 ところが意外とペストに付随した恐怖や史実をしっかり採り入れた3幕構成で、映画的ゲームを目指した『The Order: 1886』に近い印象を持った。


背景描写が良好な第一幕

 設定を語る第一幕は逃亡劇の最中に、歴史的背景をしっかり採り入れていた。


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 当時イングランドとフランスの間で起きた100年戦争の影響で、貧民は飢え感染への抵抗力を失っていた。

 その一方で貴族は貧民が流れ込む都市や村から離れて住み、十分な食料も得られたのでペストの被害は比較的少なかったという。

 黒死病は神から下された罰であるという説も流行り、記録からも感染者の扱いは惨いものだと伺える。

 特に貴族の中には貧民に同情すると感染すると考えた者も居たそうだ。世も末である。



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 その貴族であり比較的安全だった姉弟を襲ったのが異端審問だ。審問を取り仕切る異端審問官は法王権を行使でき、絶対的な権力を与えられていた。

 また制度の先駆けとなる第四次十字軍で、異端認定された者の財産を私有が許されるという通達があり、異端に仕立てあげ財産を没収するケースも少なからずあったそうだ。


 加えて14世紀フランスは魔女裁判解禁令が出されており、魔女裁判と異端審問が結びつき悪名高い『魔女狩り』へと繋がっていく過渡期にある地域である。


 必ずしも正しい表現ばかりでは無いが、当時の歴史背景が姉弟の逃亡劇に織り込まれており興味深い。物語を動かす感情に任せた言動や振る舞いも成人だとウザいが、幼い子供なら許せてしまう。


困難と障害を描く第二幕

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 『ヒューゴ』が冒されている『Prima Macula(第一の斑点)』の治療法を求めるパート。

 その過程で描かれた絵画的な美しい牧歌的風景や、ネズミや死体を始めとした不潔表現が感情を十分に刺激してくれた。その印象的な映像を背景に描かれる姉弟の関係の変化が見所。

 二人は『Prima Macula(第一の斑点)』が原因で実の姉弟でありながら、心的な距離が遠かった。ところが悲劇を境に逆境の中で互いを知り、姉弟としての絆を紡いでいく過程が良かった。


 弟の手前、張り裂けんばかりの胸中を押し殺す『アミシア』と、無邪気な『ヒューゴ』の掛け合いが、姉弟愛と悲惨さを高めていた。

 中でも徐々に弟への強迫的な献身を見せる『アミシア』と、痛々しい病状の『ヒューゴ』が行う『アミシア』への謝罪が心を打った。



 しかし、ナラティブな作品として見ると綻びが感じられた。

 その原因は物語とゲームプレイの間で生じた違和感だ。


 序盤で道徳を試すようなイベントを用意しているが、気が付けば道徳を問う雰囲気は微塵もない。


 むしろ特殊弾の種類が増える中盤から、アイディアに合わせ強制的に殺させるステージが目立ち始める。

 気が付けば強化素材を求め無駄にリスクを冒したり、不要な殺しを行うことが増えていく。

 このプレイヤーに強制的に殺人を促す作りで、ゲームプレイと心理描写の間に溝が出来てしまった。


 確かに使用人含め一家皆殺しにされ、絶えず追われ続ければ、可憐な『アミシア』が闇落ちしても不思議は無い。


 だが終盤で瀕死の兵士に復讐し『ルーカス』に絶句されても、既に何人も手に掛けており何を今更と言った心持ちになる。


 初めてのボス戦で殺人に慄く『アミシア』が印象的な分、もう少し殺しの重責が描かれても良い気がした。


奪還と復讐の第三幕

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 三幕構成のラストを飾るのは、教会に家族を奪われた子供たちによる復讐劇。対するは諸悪の根源『ヴィターリス』と『白い天使』。


 いきなり悪に立ち向かう英雄とその一行的な流れに呆気に取られるが、凛々しい表情の『ヒューゴ』が醸し出す風格で変に納得してしまう。美少年だけあってホント絵になる。


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 皆で決死の覚悟を誓い合ったら、揃って敵地に乗り込み『ヒューゴ』の『インペリウム(命令権)』無双。

 美しくて凛々しい『アミシア』の魅力に引っ張られ忘れがちだが、やってることは凄惨な復讐劇。


 序盤で散々苦しめられたネズミの群れを味方に、邪魔な兵士を皆殺しにする姿は悪役そのもの。

 母娘揃って幼い弟に殺人をさせるのだからエグい話である。

 何せ使役するのが疫病の権化であり、兵士側の視点で見たら悪魔そのものだろう。


 対するラスボスの『天使』もテラテラと光沢があり実に気持ち悪い。白く蠢く姿からは蛆虫を、液体をイメージさせるエフェクトには膿を連想させる素晴らしい仕事である。


 これを天使と呼び、群れに平気で包まれる辺り『ヴィターリス』は脳みそまで冒されてるに違いない。



 なお、ラストを飾る黒幕である異端審問官『ヴィターリス』戦と白黒つけるナワバリバトルは、宿敵である騎士『ニコラス』戦と比べ余り楽しい戦闘でもなかった。

 
 『天使』のネズミタワーや描画されるネズミの数はインパクト抜群、『ヴィターリス』に向かい4人並んで進む演出で盛り上がったので、折角だしB級映画お約束の爆発オチで派手に散らす位がゲームとしては面白そうに感じた。


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 とは言え、その後の不穏さを感じさせる幕引きは美醜が織り交ざった独特な魅力を放つ本作に相応しい。




エンディング

 かくしてエンディングで本来の子供らしさを見せる姉弟。

 再びチュートリアルと類似したステージをプレイさせ、『アミシア』の成長と姉弟の関係が変化したことを示すニクい演出だった。

 しかし、その変化は多くの物を失い多くの人命を奪った結果であり、二人の先行きに不安を覚える。どうやら私は『A Plague Tale』の世界にハマってしまった様だ。


 伝え聞くところ3部作の予定らしいので、この毒気が残るラストを続編にどう繋げるか楽しみである。

【感想/評価】PSVR対応『Jupiter & Mars(ジュピター&マーズ)』は海への愛が深すぎた【レビュー】

『Jupiter & Mars』の深すぎる愛に困惑

 『Jupiter & Mars』では文明が海洋に沈んだ地球を舞台に、2匹のイルカの冒険が描かれている。光で象られた海洋世界を美しいサウンドに包まれながら進む体験は印象に残る。

 しかし、本作を製作スタッフ一同から全ての命の源である海へのラブレターだとコメントするだけあって、その愛についていけないと物語を楽しむには辛い。


光と音で美しい海が描かれる


 真摯に海と向き合っている海洋保護団体の協力もあり、海の表現は目を見張るものがある。

 グラフィックは海洋アドベンチャーの名作『ABZÛ』と比べチープであるが、輪郭が光り輝く演出により遠景では十分美しく見える。



 エコーロケーションを放てばオブジェクトの輪郭が輝き形状が把握できるのも、音で空間を把握するイルカらしく面白い。


 死のイメージが漂う暗い海でエコーロケーションを使えば、海底に沈んだ文明の遺物や海洋汚染で問題となっているプラスチックが浮き出される。見ようとしないと見えてこない環境問題らしい良い演出である。


 サウンド面も気合いが入っている。海洋保護団体の協力で作られただろう海中の音は耳に心地よく、『Child of Eden』でもテーマソングを担当した宮原永海(なみ)さんの声は心に染みた。


 光や音で五感を刺激する体験は『Rez Infinite』に近い物があり、映像体験の面では期待に応える良好な仕上がりだった。


ゲームとしては粗削り

 ところがどっこい。ゲームとしてはプレイ開始から「こいつはやべえ、クソゲーの匂いがプンプンするぜぇ!」と嫌な予感に満ちていた。そして予感は的中する。

 プレイ内容は収集とステージ探索がメイン。物語の進行に必要なイルカ達のパワーアップアイテムの他、各所に隠されていアイコンの収集要素が用意されている。

 だが残念ながら私はステージに差し込まれるパズルやボス戦を蛇足に感じ、探索を楽しもうという気持ちは薄れてしまった。

 パズルは終始変化に乏しく「またか…」と嘆息を漏らすこともしばしば。

 一方的に攻撃するだけのボス戦も物語に関与せず、登場させる必要があったのか不思議である。

 期待していたVRは解像度が下がり想像以上に映像の魅力が損なわれていた上に操作感が良くない。珍しくVR酔いを起こし序盤でVRでのプレイを断念した。

 暗所が多く壁と自身の位置関係を見失いがちなのが酔いに繋がったのかも知れない。

 加えてステージの作りが粗く、探索中に壁をすり抜けMAP外に出てしまうことが度々あった。

 多彩な生物と生態系を描いた『ABZÛ』と比較すると全般的にゲームの粗さが目に付いてしまう。テーマが似通うので尚更である。

 それでも印象的な映像とサウンドに支えられなんとか完走したが、むしろゲームの粗さより物語に問題が感じられた。


置いてけぼりの物語


 製作スタジオである『Tigertron』のミルキー氏は次の様に語る。

「ビデオゲームは現代の強力なストーリーテリング・メディアとなる。」ことを確信。そんなビデオゲームを通して、そのプレイを楽しみながらも、“海の酸性化の問題” 、“種の絶滅問題”、“気候の変動” など、現代の人類、現在の地球が抱えるさまざまな問題に対して意識を高め、かつ魅力的なゲーム体験から、問題への興味や知識を高めることを試みるという。

https://www.famitsu.com/news/201712/09147794.html


 この試みは上手く噛み合わなかった。制作側の熱い思いは伝わってくるが、なんとも共感できず戸惑う事が多かった。

 言うならば博物館に備えられた子供向け教育ゲームの様なのだ。
 

 こだわりのサウンドに現われている様に本作は海への愛情が溢れているのは分かる。

 ただ海洋汚染をテーマにしたイベントは表面的で問題意識を持てず、イルカたちの冒険も別れから15分程度で感動の再会と語られ首を傾げたりと入り込めない。

 作品の根底にイルカやクジラを神聖視している節があり、感動のポイントも大げさに感じてしまった。

 感受性豊かな子供ならともかく、大人がプレイするには苦しい。


 オマケで見れる海洋・沿岸保護支援団体『Sea Legacy』の撮影映像の様に映像の力を信じ、無理にゲームらしさを加えず物語や環境問題の掘り下げに注力した方が面白くなっただろう。

 ここらは舵取りを誤った感が否めない。テーマは良好なので2015年設立となる若いスタジオの次なる試みに期待したい。

【感想/評価】『ワールド・ウォーZ (World War Z)』で新世代ゾンビの波に飲まれろ【レビュー】

ワールド・ウォーZの新世代ゾンビに驚嘆


 見渡す限り1面のゾンビ。右を向けばゾンビ。左を向いてもゾンビ。挙句の果てに空からゾンビが降ってくる始末。

 そして目の前に迫るゾンビの塊に銃弾の嵐をぶち込めばトリガーハッピーで脳死するほど楽しい。

 映画『ワールド・ウォーZ』の名を冠した本作は、映画で描かれたゾンビ・スウォーム(群集)の迫力と魅力を見事に再現していた。
 

映画『ワールド・ウォーZ』が新しい理由

 ゲームに触れる前にゾンビ映画の歴史に触れたいと思う。

 現在のゾンビのイメージは1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』まで遡る。本作で死んだ者が蘇る、襲われて死ぬとゾンビになる、頭を吹っ飛ばせば倒せると言うルールが確立した。

 その後、1996年公開の映画版『バイオハザード』の成功でゾンビと感染が紐づけられ、2002年の『28日後』で全力疾走するゾンビ(感染者)のイメージが一般に定着したと思われる。

 そしてショッピングモールで籠城する『ゾンビ』をリメイクした『ドーン・オブ・ザ・デッド』で、感染・全力疾走・ゾンビの群れという金に物を言わせた黄金の組み合わせが完成する。

 ここからB級ゾンビ映画戦国時代へ突入。○○・オブ・ザ・デッドが乱立し多彩な演出が披露されゾンビファンを喜ばせたが、もちろん一般受けはせず、暫くゾンビ映画界に新しい風は吹いてこなかった。

 そこに颯爽と登場したのが『ワールド・ウォーZ』である。そこには新しいゾンビ映画の姿があった。

 物語はさておき、金に物を言わせた凄まじい物量と馬鹿げた勢いで蠢くゾンビ・スウォームのインパクトは圧巻。

 まるで一つの個体の様に振る舞い、高い壁を乗り越える様は正に目にしたことない映像だった。

 それはゾンビ映画界における新発明と呼んでも差支え無いだろう。

 その膨大な数のゾンビが襲来するゾンビ・スウォームをゲームで体験できる。こりゃゾンビファンなら群れに突っ込むしかない。


スウォームが生んだ楽しさと遊びやすさ

 本作は『Left 4 Dead』と同じく4人で協力してステージを踏破するゲームであり、特定の場所でタワーディフェンス風のスウォーム襲来イベントが起きる流れとなっている。

 その随所に差し込まれるスウォーム襲来イベントが、トリガーハッピー発生装置として効果的に機能していた。


 私はトリガーハッピーに達するには三つの要素が必要だと考えている。

 まず射撃対象に脅威が感じられ、次に一定の射撃時間が確保されること、最後は射撃効果が実感できること、この3点だ。それらをゾンビ・スウォームは、完璧に満たしていたのだ。


 ステージにもよるが、スウォームが襲来すると夥しい数のゾンビが壁をよじ登ろうと集まり塊が出来る。はっきり言って気色悪い。近づきたくない。

 だが放っておくとゾンビの塊は徐々に高く積みあがり、最終的に壁を越えてるまで成長してしまう。そうなれば画面いっぱいにゾンビが溢れる地獄絵図へ早変わり。

 そこで4人で協力し100発以上の銃弾をもってゾンビの塊を散らかす片付ける必要が出てくる。

 無防備に壁を叩くゾンビに遠慮は要らない。膨れ上がるゾンビの塊に大まかな狙いをつけ、湧き上がる衝動に任せトリガーを引き続ければいい。

 目の前で大量のゾンビが薙ぎ倒され、あっと言う間にトリガーハッピーに達する。合間に爆発物で吹っ飛ばせば更に楽しい。


 群れを相手するゾンビゲーでは籠城が推奨されないことが多く、ゾンビから逃げながら頭を狙うといったテクニックが必要なケースが殆どだ。これが案外シューター慣れしてない人にはハードルが高い。

 その点スウォーム演出が成した、ひたすらゾンビの集団に向かって攻撃すればOKという遊びやすさは高評価。

 群れが防衛拠点まで到達したら全滅必死なので、一方的に攻撃しても緊迫感が全く損なわれない。見て分かる群集の迫力も楽しさに寄与している。まったく素晴らしい発明である。


新世代ゾンビゲーの先駆けとなる作品

 実のところゲーム『ワールド・ウォーZ』も映画と同じような欠点を抱えている。物語の魅力は乏しく有って無い様な物だし、プレイの多彩さはお世辞にも多いとは言えない。映画にしろゲームにしろ、良くも悪くもスウォームに始まりスウォームに終わるのである。


 ゲームとして評価すれば、ゾンビゲームとゾンビ映画の世界を牽引した名作『バイオハザード』が拓いたホラー要素は皆無、パクリ元オマージュとなるゾンビCOOPの傑作『Left 4 Dead』の焼き直し感は否めず、オープンワールドとパルクールの化学反応で魅せた『Dying Light』の様な斬新さはない。価格に見合った小粒さを感じるだろう。

 それでも本作のゾンビ・スウォームは素晴らしく、今後のゾンビゲームに多大な影響を与えると確信している。リアルだけどちょっと変な日本も楽しめ、フレンドと気軽に遊ぶなら最高の一本だ。

World War Z(輸入版:北米)- PS4

World War Z(輸入版:北米)- PS4

【感想/評価】『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』レビュー。フロム最高峰の死にゲー、ここに見参

『SEKIRO(隻狼)』で死にゲーの極致へ

 難しい「死にゲー」と言えば『フロム・ソフトウェア』の『ソウルシリーズ』や『ブラッドボーン』を思い浮かべる人は多いだろう。それだけ人気を博し愛されてきたジャンルだ。

 そのフロムが日本を舞台の「死にゲー」を世に送り出した。それが『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』である。

 『SEKIRO』と歴代の「死にゲー」に類似点は多い。『SEKIRO』も不死の力『回生』で試行錯誤と学習を経て、困難を乗り越えるデザインとなっている。

 MAPの作りも『ダークソウル3』の『火継ぎの祭祀場』と『篝火』と同じく、活動拠点の『荒れ寺』とチェックポイント『鬼仏』で構成されている。

 さらに主要な回復アイテムである『傷薬瓢箪』や忍具の使用で消費する『形代』も『エスト瓶』や『水銀弾』と類似したシステムだ。

 一見すると従来の「死にゲー」を和風にした作品に見えなくもない。しかし、その実態は洗練されたアクションと、かつてない難易度で描かれた忍の世界だった。


面白さの源は『天誅』の息吹

 『SEKIRO』は面白い。その面白さを支えるのが探索とチャンバラ、そして忍殺の3つだ。これらはフロムが関わった忍者アクションの金字塔『天誅シリーズ』の影響が伺える。


 まずは立体的なステージを探索する面白さ。『SEKIRO』では鉤縄が使える場所こそ限定されているが、複数のルートが用意され攻略方法はプレイヤーの判断に委ねられる。

 これは目標達成するに当たり好きなルートと手段で攻略できた『天誅シリーズ』の魅力に通じる。

 真正面から挑むも良し、忍殺で静かに処理するも良し、回避して進むも自由だ。
 中でも鉤縄でぴゅーっと軽やかにステージを進むのは爽快。


 なお、じっくりプレイするステルス攻略の関係から『鬼仏』の間隔は短く、突然の落下死や初見殺しの罠は鳴りを潜めている。

 全くフロムのゲームとは思えない優しさである。  



 次に『SEKIRO』のスタミナに近い『体幹』を削り必殺の『忍殺』を決める戦闘が面白い。

 『ソウルシリーズ』の盾受けや『ブラッドボーン』のステップと違い、防ぐと同時に敵の『体幹』を削る攻防一体の『弾き』や『見切り』を使った切り結び。

 これが刀と刀が火花を散らす小気味よい演出となっている。

 例えば剣戟アクションの『フォーオナー』は一撃が重いリアルな切り結びだった。

 一方の『SEKIRO』は派手な連撃で魅せるチャンバラである。

 上手く戦えてる時のガキン!ガキン!と鳴り響く金属音と、オレンジに瞬く『弾き』のエフェクトがなんとも爽快だ。



 最後は戦闘の締めを飾る『忍殺』である。

 『SEKIRO』は雑兵ですらチャンバラをやってのけ容易に倒されてくれない。そこで忍び寄り『忍殺』を狙った方が圧倒的に楽なバランスとなっている。

 私が『天誅シリーズ』で最も好きだったのが『忍殺』だ。


 真っ向勝負だと固く手強い相手が、『忍殺』なら一瞬で散る様は格別。

 またレントゲン写真が差し込まれる演出に、当時のグラフィックでは表現できない生々しい殺意を感じた。*1

 それを『SEKIRO』は美麗で迫力ある映像で表現してくれた。

 主人公『隻狼』が魅せる研ぎ澄まされた技に込められた殺意。時に『ゴッド・オブ・ウォー』のクレイトス並みの迫力ある忍者活劇を見せてくれる。 


 時にカメラ位置に難を感じることもあるが、前述のように忍者アクションの質は高く期待に応えてくれるだろう。


 問題は、その難易度である。 


耐え忍ぶ難しさは正に修行

 フロムが作る『死にゲー』の魅力は学習と成長にある。難関を試行錯誤し突破する達成感と、確かに感じる自身の成長が癖になるのだ。

 そして難関に挑むプレイヤーを支えたのが協力プレイと、レベル上げというキャラクターの確実な成長だった。


 その点『SEKIRO』はマルチプレイの廃止のみならず、キャラクターよりプレイヤーの成長に依存するバランス調整で、難易度が跳ね上がっている。

 もしボスで詰まった場合、今までの「死にゲー」なら助けを求めたり、レベル上げで体力や攻撃力を強化すれば突破可能だった。

 ところが『SEKIRO』では中ボスや大ボスを撃破しなければ、体力や攻撃力の強化アイテムが手に入らない。

 雑魚敵を倒した経験値や銭で得られるのはスキルや忍具強化であり、手札が増えても純粋な強さは変わらない。

 結局、勝敗を決するのは攻撃パターンを覚え『弾き』と『見切り』を成功させ、相手に『忍殺』を叩き込む技術だ。

 だから活路を見出だすまで試行錯誤し、何度も挑み続けなければならない。修行か。これは修行なのか。

 
 その修行の如く難しいボス戦で繰り返される死で増える『竜咳』の被害者。寺に響くNPCの咳でプレイヤーの悲壮感も増していく。初の大ボスでは全NPCが姿を消す日は近いと戦慄したものだ。

 
 断っておくが難しいけれど理不尽ではない。練りに練られた成長プログラムであり、ボスを乗り越えれば納得の内容と順番になっていると気づくだろう。*2

 まったく、立ち塞がる大ボスを倒して得た強化アイテムの名が、『戦いの記憶』だなんてトンチが効いてる。


『SEKIRO』に諸行無常の響きあり

 ここまで『SEKIRO』が優れた忍者アクションであり、修行の様な難易度だと伝えてきた。

 最後は『SEKIRO』が描いた日本の風情ある情景と神仏の要素、その魅力について触れたい。


 世界の滅びが描かれた従来の「死にゲー」と異なり、舞台となる戦国時代は人間社会の衰退こそあれど、四季折々の自然が美しい景観が堪能できる。

 また立ち塞がる強敵は生命の躍動に溢れており、倒した後に桜の散り際の様な儚さが添えてある。

 そこには栄枯盛衰、生と死の二重構造による「侘寂(わびさび)」がある。


 神道の八百万神を模した超常的な存在の描き方も情緒的に描かれており、コズミックホラーの『ブラッドボーン』で無機質な描かれ方と比較できるのも面白い。*3

 どうやらフロムは啓蒙の次に悟りを開かせたいらしい。


 また主人公を固定したことで物語の軸が定まっているのも印象的だ。フロムの特徴だった解釈の余地を削ることで、『回生』がもたらす『淀み』や登場人物の死生観に思いを馳せることが出来る。

 これには高難易度やマルチプレイ廃止も納得である。孤独に繰り返し死にながら戦い、葦名の地を巡ってこその風情。それが『SEKIRO』の魅力なのだ。
 

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

*1:特に仕掛人 藤岡梅安が好きだったので鉄舟には痺れた

*2:だからこそ忍者修行を課せられてる気分になるのだが

*3:やや焼き直し感があるのは否めない

【評価/感想】『デビル メイ クライ 5』レビュー 至極のアクションをスタイリッシュに決めろ

DMC5のアクションは脳髄までキマる

 『バイオハザード7』の『Re:エンジン』を使い、美麗な映像で表現される『DEVIL MAY CRY 5(デビルメイクライ5)』(DMC5)。

 本シリーズはスタイリッシュアクションと名付けられたゲームだ。はて、スタイリッシュとはなんだろう。調べると、流行に沿った、粋な、と出てくる。一言でいうならばカッコイイだ。

 そう。DMC5は圧倒的にカッコイイ作品であり、カッコイイから面白く楽しいのである。



プレイヤーをコンボへ誘う魅惑の報酬

 DMCシリーズの魅力はプレイヤーにコンボを重視させるゲームデザインにある。

 アクションゲームに限らず難易度を上げる手段として、敵の体力を増やす・火力を上げる・数を増やすといった手段がとられることが多い。

 手早く敵を倒すことを目的にすると、どうしても強コンボに頼ることになる。

 その結果として単調な操作を繰り返す「ごり押し」で進むプレイヤーも少なくないだろう。もちろんDMC5も「ごり押し」でクリア可能だ。*1


 ところがDMC5の目的は敵を倒すことではなく、むしろコンボ評価を上げることにある。

 コンボを繋げ評価を上げれば眩く光る『S』の文字が並び、派手なエフェクトが画面を彩り、BGMはノリノリのサビに変化する。

 ゲーム側がアナタのプレイはカッコイイ!凄いぜ!ってガンガン伝えてくれるのだ。

 それも必ずしも格ゲーの様な洗練されたコンボである必要はなく軽率に褒めちぎってくれるので、その魅力にあっさりハマってしまう。


 その最たる存在が新キャラ『V』だ。とりあえず避けながらボタン押すだけで、ド派手な絵で画面が埋め尽くされスタイリッシュにキマる。

 また「うわ…私のコンボ、ダサすぎ?」とコンボに苦手意識があるプレイヤーも、『オートマチックアシスト』を使えばボタン連打でスタイリッシュに戦えるので安心。悪魔狩りの楽しさを存分に堪能できるだろう。


やり込みを支えるアクションの厚み

 
 序盤からの褒め殺しで気分よくなったプレイヤーを夢中にさせるのが、豊富なアクションだ。

 DMC5のサウンドはキャラクターの動きやコンボ評価に合わせてリニア変化する。

 例えばネロの戦闘曲『Devil Trigger』は戦闘が始まると同時に曲が流れ始め、コンボ評価に合わせAメロBメロと曲が展開していく。

 そしてコンボを繋げSランク評価に達すれば、晴れてサビに入りテンションも最高潮!

 評価を上げきれず敵が倒れてしまうと、「おいおい、もっと楽しませろよ」と思ってしまう程の爽快感だ。

 その爽快感を得るには、ごり押しでなく多彩なアクションを織り交ぜる必要がある。その為に用意されたアクションの厚みが凄まじい。


 リスク管理が楽しい新武装『デビルブレイカー』を引っ提げた『ネロ』、3体の従者を使役する『V』、武装とスタイルの切り替えが魅力の『ダンテ』と、バラエティに富んでいる。


 過去作の遺産を惜しみなく投入し、更に新規アクションもてんこ盛り。どれも洗練されたカッコイイ技ばかりで、流石は格ゲーのカプコンといったところ。


 中でも『ネロ』の『デビルブレイカー』は派手で威力も高いが、使用中にダメージを受けると破壊されてしまう繊細な品。

 主人公らしく一方的に連続攻撃を与え続けるシステムを体現したキャラに仕上がっていて奥深い。

 個人的には『V』<『ダンテ』<『ネロ』の順番で難易度が上がる印象。アンロックと魅せコンボ追求が周回プレイへの原動力となっている。 


 全てをアンロックするのに要する『レッドオーブ』の数は少なくないが、課金で入手も出来るのでお好みで時間を買うこともできるのも好印象。


アクションを支える魅力的なキャラクター

 スタイリッシュアクションを楽しむ上で忘れちゃいけないのが、魅力的なキャラクターたちである。

 今回初のフォトリアルなグラフィックに挑戦とあって、各インタビューで答えている様にハリウッド映画を超えるのが目標となったそうだ。

 キャラクターもハリウッド映画化したら、こんな感じだろうというイメージでデザインされたという。

 それが理由かDMC5では、ちょっとダサい所を見せる血の通った人物描写が目立った。



 それでもシリーズの顔である『ダンテ』を始めとするDMCの登場人物たちは相変わらずカッコイイ。

 それは美形だとか強いからでなく、行動やセリフに悪魔退治のプロらしい余裕と自信が見られるからだ。

 おいおい。と突っ込み入れたくなるカットシーンでも、ダンテのセリフ回しとノリで許せてしまう。

 そしてプレイが始まれば戦闘の勢いと熱さで、細かいことはどうでも良くなってコンボに夢中になる。*2

 カッコイイを核として練られた本作は、演出、アクション、キャラクターの面からみても至極のアクションゲームである。
 気軽に遊びたい人も、じっくり遊びたい人も満足できること請け合いだ。
 

デビル メイ クライ 5 - PS4

デビル メイ クライ 5 - PS4

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: カプコン
  • 発売日: 2019/03/08
  • メディア: Video Game
デビル メイ クライ HDコレクション - PS4

デビル メイ クライ HDコレクション - PS4

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: カプコン
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: Video Game

*1:終盤はゴールドオーブのお世話になるだろうが

*2:特にダンテの新武器は突き抜けていて最高に楽しい

【感想/評価】フロムのVRゲーム『Deracine (デラシネ)』のレビューと感想

フロム流VRアドベンチャー『デラシネ』は没入感が凄かった

 命と時間をやり取りをする『妖精』となり子供たちの願いを聞き届けるVRアドベンチャー。

 穏やかな雰囲気だが『Bloodborne (ブラッドボーン)』との関連を匂わせるだけあって、その世界はフロムらしさに満ちていた。

 ネタバレ無しでは多くは語れないのだが、時間への関与、生命の移し替え、人間の願い、プレイするとフロム脳が刺激される。

ネタバレ無しの『デラシネ』レビュー

 本作でプレイヤーの分身となる『妖精』は切り取られた時間を行き来する存在。だから目前に広がる風景は全て停止している。なるほど、古典的アドベンチャーゲーム(ADV)をVRでというテーマに納得。

 ゲームデザインの切り口は『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失』と近しい。各ステージでは過去の様子が幻影の形で表現されており、探索の順番によって過去から現在へと読み解く時もあれば、現在から過去へ遡っていくこともある。

 その停止した世界とキャラクターの語りから物語を補完し繋げていくプレイ感覚は、確かに静止画とテキストで状況を補完し把握する古典的AVDに通じるのだ。


 意外だったのが『デラシネ』は掴める物が少ないことだ。VRで手を表現した作品といえば、手当たり次第に物を掴んで投げられる『Job Simulator』の様な作品をイメージする。

 折角ゲームに手を持ち込んだのだ。思う存分使わせようとするのが自然な流れだろう。ところが『デラシネ』は掴める物を絞り、手に持ち様々な角度から観察することに重きを置いており、自然と注意深く観察し掴める物を探して手を伸ばす様に誘導された。

 その彷徨いながら掴む物を求め手を伸ばすプレイは、近いけれど遠い世界にいる『妖精』とキャラクター達の間にある隔たりを感じさた。

 
 結果として『デラシネ』の止まった世界を探索し前後の状況を推測する物語と、自身の目と手でヒントを探すVRらしいプレイの相性は抜群だった。体験を通じて脳内でパチリ、パチリと物語のピースがハマっていく快感がある。物語の性質上、初回プレイが重要なのでネタバレは避けた方が良い。




『デラシネ』のネタバレ感想

 本作はネタバレすると台無しなので語りにくい。こういう時はブログがあって良かったと思う。


フロムが本気で『かわいい』を作った

 “フロム脳”を刺激するVRゲーム『Deracine(デラシネ)』と、社長・宮崎氏が語るフロム・ソフトウェアのこれから【E3 2018】 - ファミ通.comで少女漫画をイメージしたと語られる様に、かなり『かわいい』が強調されたキャラクターで、いつものフロムらしくないことに驚いた。彼らの穏やかな日常生活を眺めていると、「あれ、なんか可愛いぞ。素直でいい子達じゃないか!よし、妖精さんが願いを叶えてやろう!」となってくる。

 しかし、最初から可愛らしく見えたわけじゃない。実はプレイ当初は整ったキャラクターモデルがマネキンの様で違和感が強かった。時間が止まった世界が舞台なので尚更に不気味である。

 ところがキャラクターの時間が動くと文字通り世界が急に変わる。色鮮やかになり動きが付き、まるで命が吹き込まれたかの様な変貌ぶりを見せてくれる。心なしか髪や衣服の質感も変わって見えてくる。気が付けば不自然さや不気味さは感じなくなり、『デラシネ』の世界に馴染んでいた。

 この頃は『妖精』が持つ命と時間を操る能力と、純粋無垢な少年少女の組み合わせに王道の展開を予想していた。だから演奏会をプレイした時、『ロージャ』と同様に蛇に噛まれた『ルーリンツ』を救うのだなと一人頷いたものだ。


そしてフロムらしい毒が牙を剥く


 ところが状況は一変する。ここからはジェットコースターの如く驚きの連続だ。突如として森へと向かう子供たち、明かされる『ユーリア』の真実。彼女が幽霊の様な存在だったとは気づかなかった。

 そして子供たちが森へ入り外界と交わった時、『デラシネ』の世界が見えてくる。子供たちに親しまれていた『妖精』は、外界では人を襲い命の時間を奪う化け物と認知されていた。世界各地で『妖精』が原因と思われる失踪事件が起きているとも知る。

 自分を慕う子供たちは『妖精』を研究するために集められた孤児であり、あの不自然なまでの素直さが被検体ゆえの過保護と無知で作られた物だと気づく。このフロムらしい毒気に眠っていたフロム脳が目を覚ます。

 幾度と過去に戻り、遂に『妖精』の指輪の力で『ユーリア』は生き返った。元の時間に戻ると『ユーリア』の生還を喜ぶ子供たちの幻影と声に溢れていた。そこに穏やかな日常が戻っていた。

 そして1階へ降りると子供たちの衣類だけが残されていた。それを見た瞬間、私は時間が止まったかの様に立ち竦んでしまった。

 幻影が見せる過去は現在から2~3時間であり、展開が変わる時は時間を跨いできた。その体験から私は油断してたのだ。事が起きるのは少なくとも「今」じゃないと。


プレイヤーの心を掴む物語


 振り返ってみれば、それは自分が傍観者じゃなく当事者になっていると悟った瞬間だった。

 物語の登場人物に感情移入するのは中々の離れ業。小説や映画と比べれば操作できるゲームが同調しやすいとは言え、自分を手放せず第三者の視点で見てしまう方が自然だろう。

 そこで多くの作品はプレイヤーに選択や決断を委ねることで同調を促している。その点『デラシネ』はVRらしく自らの目と手を介した体験を通じ『妖精』との同調を図っている。

 特に両手は「ペンフィールドのホムンクルス図」で知られる様に、第二の脳とも呼ばれる器官。人は両手で干渉することで、世界を認識している側面があり、ゲーム内で掴み干渉するのことが没入感に繋がっていた。

 それ故ラストで『ユーリア』の命を奪っていた事実に衝撃を受け、命を返し別れの時を迎えたことに満足感があった。それは自分の手で行った実感があったからだ。

 一本道の物語でお使いゲーとも言える内容なのだが、共感を押し付けない『妖精』の設定と相まって素直に登場人物となれた。本作は物語に入り込みにくい傾向がある人ほど評価が高いんじゃなかろうか。

 『デラシネ』は古典的ADVという完成されたシステムとVRを上手く融合しており期待以上の出来だった。今後フロムがVR作品を輩出するようなら、私は迷わず購入するだろう。