『Superliminal(スーパーリミナル)』は『トリックアート』の理論を利用したパズルゲームだ。
プレイヤーは夢を利用した『Somna Sculpt療法』と呼ばれるテストに参加し、遠近法錯視を利用したパズルを頭を捻りながら解いていく。
人に薦められゲームの冒頭を動画で見た瞬間、「こりゃ自分でやるしかない!」と動画を中断し衝動買いした。
【State of Play】
— プレイステーション公式 (@PlayStation_jp) 2019年12月10日
超現実的ファーストパーソンパズル『Superliminal』が2020年4月にPlayStation®4で登場!
柔軟な思考で暴走したドリーム・セラピープログラムから脱出せよ!#StateofPlay #PS4 #Superliminal pic.twitter.com/ooEE4W8rNn
実際にプレイしたらどうだろう。錯視を利用した刺激的なギミックや演出に「そう来るか!」「やられた!」「・・・すごい」と思わず独り言がこぼれるほど熱中した。
『Superliminal』は人に薦めたくなる一本だった。
何故、人は錯視を起こすのか
ゲームに触れる前に少し視覚と脳の話をしよう。
視覚は大きさ、形、色、明暗と五感で最も情報量が多く、解釈によって成り立つ意識体験だ。
意識体験とはどういうことか。例えば誰しもリンゴの文字を見て脳裏に映像を浮かべることが出来るだろう。
人はリンゴが持つ色、形、大きさといった視覚情報を、脳内で統合してリンゴという概念に変換している。
だから実物を見なくても脳内でリンゴの映像を想像できるし、見る角度や大きさが変わってもリンゴだと認識できる。
逆に脳ではリンゴという概念に色、形、大きさ等の情報が紐づけられているとも言える。
脳は視覚情報をリンゴの概念と視差を組み合わせ、空間的に辻褄が合う配置として認知する。
例えば同じリンゴでも近くなら大きく見え、逆に遠くなら小さく見える筈、そう脳は認識している訳だ。
これを遠近法錯視と呼び『トリックアート』や『Superliminal』は、この認識を利用している。
この遠近法錯視を使った映像が面白い。私はゲームのパズルと言うと面倒くさいイメージがある。それは一重に解くことに重きを置いてるパズルが多いからだ。
その点『Superliminal』のパズルは鑑賞する楽しさがある。それも『トリックアート』なので「芸術とか分からん!」という私でも十二分に楽しめるので有難い。
奇妙で不思議な『視点の空間』
そろそろゲームの話に移ろう。
『Superliminal』のステージ構成は、冒頭でルールを確認し遠近法錯視を利用したパズルを解く流れになっている。そのパズルを解く鍵となるのが、無限に届く見えない手である。
本作は3次元空間をFPS視点で進む。ところがプレイヤーが物を掴み離す瞬間だけ奥行きの概念が無くなり、遠近法錯視に合わせ3次元空間も変化する。
この3次元と2次元を行き来する奇妙な感覚の世界を、作中では『視点の空間』と呼んでいる。
ここで『視点の空間』が持つルールの一つを紹介しよう。作中に登場する箱は掴んで放す度に、遠近法錯視のルールに沿ってサイズが変わる。
箱を遠くに置くほど大きくなり、近くに置くほど小さくなっていく。その変化を利用し高所へ登ったり、遠方のスイッチを起動するといった具合だ。
この『視点の空間』を利用する発想力を問うパズルや雰囲気から、私は名作パズルゲーム『Portal』(ポータル)を思い起こした。
もし登場する『ピアーズ博士』が『GLaDOS』の様な愛すべきキャラなら、より印象に残る作品になっただろう。
自分の固定観念が崩れる快感
題名にあるliminalを調べると識域とある。その意味は意識の出現または消失の境界、意識域で、subliminal(潜在意識)に含まれている言葉だ。
私は『Superliminal』という言葉に、潜在意識にある固定観念を越えろというメッセージを感じた。
実際プレイ中、私は視点を変えようと「固定観念を捨てろ!ぶっ壊せ!」と念じながら頭を捻りパズルに挑んだ。
しかし解けないときは本当に解けない。潜在意識にある遠近感を始めとした、慣れ親しんだルールを捨てるのは至難の業だった。
あの手この手と試し悩んだ末、ふとした切っ掛けで答えが閃いた時、目の前がパッと開けるような感覚に包まれる。
これは固定観念が壊れた成果が視覚的に実感できるのも大きい。正に答えが「視える」のである。
その驚くべきパズルと演出の数々に、製作者の発想力に思わず感嘆の声が漏れてしまう。
全てのステージをクリアしたとき、私にとって『Superliminal』はパズルの面白さを語る上で基準の一つとなった。
視点が変われば意識も変わる
ここからは一部の演出やエンディングのネタバレに触れる内容になるので注意されたし。
全ての問題を解きエンディングを迎えると『Somna Sculpt療法』の目的が語られる。その一部を抜粋する。
「失敗を恐れて、新しい視点から問題を見ようとしないことが問題なのです。」
「人生は常に苦難であり、問題は絶え間なく生じてくるでしょう。」
「そこで不可能に思われる障害に直面することになりましたが、あなたは型にとらわれずに考え、それを克服しました。」
その理念を体現する、遠近法錯視と先入観を利用した魅惑のパズルの数々は素晴らしかった。
散々『視点の空間』が支配する世界であるとメッセージを送られても、なかなか自分の中にある先入観を壊すことは難しい。
例えば夜空に輝く満月。部屋に入り掴める物を探し、辺りを見回しても見つからない。
途方に暮れ夜空を見上げると、遥か宇宙の彼方で輝く月が目に入る。答えは最初から目の前に有ったのだ。
例えば暗闇に浮かぶ赤いペンキの手形。急な転調に思わず歩みは止まり、不確かな情報にも関わらず血痕と思い込んだ。
そして恐怖から目に写る情報が、惨劇の痕跡である確信を強めていった。
人は物事を見たい様に見てしまう。自分の先入観に気付かされる演出の数々に、何度「やられた!」と膝を打ったことか。
ただ本作のエンディングは、エンターテインメントのオチとしては堅苦しく、教育的過ぎて面白味に欠ける。プレイを終えた報酬として物足りない。
だが医療の側面から見ると興味深いエンディングだった。
それは近年は『デジタルセラピューティクス』と呼ばれる、アプリ等を利用したメンタルヘルス医療補助ソフトの開発が注目されていることに起因する。
本作の『Somna Sculpt療法』はメンタルヘルス領域で行われる「認知行動療法」に通じる。
例えば「うつ病」では思い込み(認知)から否定的な思考や行動パターンを繰り返す悪循環へ陥りやすい。
そこで施術者は患者と共に日常生活における課題を検証し、患者が抱える偏った考え方や受け取り方に気付く切っ掛けを与える。
その後、課題解決の実践と検証を進めながら、患者の認知と現実の乖離を修正していく。
これが「認知行動療法」であり、多彩な視点で問題に取り組ませる『Superliminal』の在り方と近い。こう考えると堅苦しいエンディングにも納得できる。
もちろん『Superliminal』はゲームであり、医療アプリではない。それでもゲームが持つ医療利用の可能性を感じさせてくれた。