人間の恨みや怨みは根深い。
特に怨まれる様な事をするのは下策だ。出来る限り避ける方が良い。そして同時にうらまないようにしたい。
恨みと怨みは似ている様で違う。その違いは対象の差だ。似通う部分は有るが、「恨み」は行為や選択が対象で「怨み」は人や物が対象となる。なので「恨み」は自分も対象となるが「怨み」は他人に向けれらる。
悔恨と怨念。この言葉にその本質が現れている。
「恨み」そして「怨み」は根深い。人間に長い時間を掛けて棲み付く。
認知症になっても決して忘れない。そう、忘れないのだ。
最もたちが悪いのは「うらみ」を晴らしても現状は変わらないと言うことだ。むしろ変わらないからこそ「うらむ」のかもしれない。
人は消化出来ない想いを「うらみ」として残す。大きな問題が原因になることもあれば、些細な事が積もり積もっていくこともある。
「うらみ」は合理的な判断を容易に越える。割りに合わない事も平気でやれる力がある。だからこそ恐ろしい。
「うらみ」は昇華させないと消えない。別の形に転化させるのだ。出来るだけ良い形に転化させたい。
そこで「うらみ」を他の事の原動力にしてしまおう。
「うらむ」のも力がいる。その力を別に向けさせるのだ。その力を「こんちくしょう!」と原動力にして自分に投資しよう。
「うらむ」のは時間の無駄である。