機械の獣が魅せるリアリティ
『Horizon Zero Dawn(ホライゾン ゼロ・ドーン)』は序盤の時点でウィッチャー3と雰囲気が似ているという感想を持った。と言ってもウィッチャー3が人間ドラマに力を注いだのに対してホライゾンは狩猟に力を入れている違いはある。
ここがポイントで狩りじゃなくて狩猟。『狩りゲー』じゃなくて狩猟を楽しむ『狩人ゲー』である。そこが面白い。
その魅惑的な狩猟を支えるのが機械の獣たちだ。美しく雄大な彼らの存在感は圧倒的で、彼らと対峙し撃ち取った時の興奮は素晴らしいの一言に尽きる。
そこで陰の主役とも言える機械の獣たちの魅力に関して触れたいと思う。
機械に感じる生命の息吹
ホライゾンに登場する機械の獣たちはピカピカ光る上にゴツい。ゾイドを彷彿とさせる姿で男のロマン炸裂って感じだ。
放熱板やら装甲を纏った直線的なフォルムを持つ彼らの外見からすると、ウィーン・・・ガチャン、ウィーン・・・ガチャンそんな古典的なロボットの動きでも違和感はない。むしろ、その方が自然に感じるかも知れない。
だからこそ、狩りに挑んでいる際に彼らが見せる『しなやかさ』に生命の息吹を感じざるを得ない。
動物の動きを研究しただけあって、その『しなやかさ』の表現はかなりの出来だ。人工物であり自然の中だと異物に感じる彼ら機械の獣たち。ところが、彼らは動き出した瞬間に美しい大自然と調和する。
それを受けて私たちの心も自然の中で獣を狩る狩人になっていく。
機械のイメージが違和感を無くす
さて、『狩りゲー』と言えばモンハンことモンスターハンターシリーズを思い出す。私も大好きなシリーズではあるがプレイしていて、モンスター達が見せるワンパターンな行動に違和感を覚えた経験がある。
それは架空の存在とはいえ生物に対する違和感だ。習性と表現するにしても単調で、プログラムの存在を感じずには居られない。そこで製作側は食事やスタミナなどの要素で『生き物』である演出をしているわけだ。
似たような感覚は人が相手のステルスゲームで顕著に現れるだろう。例えばMGSやディスオナードの様なステルスゲームにおける兵士は馬鹿で間抜けである。
それは難易度の調整も関与しているとは言え、やはり人として見るとやや興醒めしてしまう。しかし、それが警備ロボットなら何故か納得できてしまうのだ。
同様にホライゾンで登場する獣は機械なのでパターンが決まっていても違和感がない。機械の獣ならプログラムに決められた単調な行動しか取らなくても納得できるのである。
確かに在る狩人を演じる楽しさ
ホライゾンは一つ一つの要素を見るとハイレベルながら革新性は乏しい作品だ。しかし、少なくとも狩猟体験RPGとしては最高品質に到達している。
これは完全に設定の勝利だろう。狩りの相手を機械の獣にし、原始的な生活に戻った人類に対して絶妙な脅威として表現したのが幸いした。
もし、『しなやかさ』が無く兵器と獣性のバランスが崩れていたら。もし、同じシステムでも魔法ファンタジーの世界だとしたら。この狩猟に対する説得力は無かっただろうと思う。
『Horizon Zero Dawn(ホライゾン ゼロ・ドーン)』は奇跡的な調和を成した気がしてならない。恐らく次はない。
ところで似ていると評したウィッチャー3の開発スタジオが御祝いのアートを贈っている。ゲラルトなら機械の獣も退治できそうだ。
We're loving #HorizonZeroDawn, congratz to the @Guerrilla team and a high five from Geralt! pic.twitter.com/cujMKBufnJ
— CD PROJEKT RED (@CDPROJEKTRED) 2017年3月2日
お礼の画像も出されました。
After @CDProjektRed’s lovely tweet we just had to return the favor! Here’s Geralt & Aloy engaged in a little friendly competition 😉 pic.twitter.com/w38E01O0Eg
— Guerrilla (@Guerrilla) 2017年3月3日
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