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[考察]Bloodborne(ブラッドボーン)と血の医療

ブラッドボーンの世界観

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 ブラッドボーンはビクトリア時代イギリスの世界観が基になっている。19世紀に入ると近代化が進み医療の質も変化し始める時代だ。そこでゲームの元となる当時の歴史背景を考えてみた。

はじめに

 教会は神の奇跡を表現する為に「死」を遠ざける医療の提供を行っていた。キリスト教会が行った悪行として有名な「魔女狩り」も民間療法を知る者を排斥して、医療知識の独占を狙ったとも言われている。

 またヤーナムと同様に、イギリスにおける都市化の中心には必ず教会の存在が有った。都市として発展する際に教会が自治体として機能した為で、教会の存在なしで都市化は成り立たなかったのである。


 その後イギリスでは瀉血療法(血を抜く事)が流行し、血液を介して病気を治療出来ると考えていた。そんな瀉血療法が採血・輸血の技術を促進させた。

 さらにビクトリア時代は麻薬の乱用期でもある。当時は痛みや苦しみを軽減し力と精力を与える麻薬は治療薬として認知されていたのだ。未熟な医療である瀉血療法と麻薬は当時のイギリスで蔓延した。


 病み人達は教会が秘匿する万病を治す血液を求めて古都ヤーナムに集まってくる。医療教会が提供するその血は力を与えてくれるが、中毒性が高くヤーナム市民の殆どは血液中毒者となっている。(輸血液の説明欄を参照)

 これは当時の未熟な医療の象徴である瀉血と麻薬を織り混ぜたと考えられる。
 
 Bloodborneとは血液由来と言う意味だけあって血液と関連が深い本作。ここでは実在した血の医療に注目しようと思う。


血の神秘性

 人間は本能からか血液に特別な想いを持つ。古来から人は血液には「精気」が宿ると考えており、若返りの秘術として「輸血術」の記録が残されている程だ。

 そんな血液を捧げる儀式は特別な意味を持っていた。その血液は生け贄だったり自身の物だったり様々だ。血を捧げる儀式は世界各国で似たような文化として見られ、その一つである聖杯を用いた儀式がブラッドボーンでは登場している。

 現代に生きる私たちも経験として血液が失うと死に至る「命の源」であると感じている。また、親子が似るといった「血の繋がり」の様な神秘性も実感しているだろう。

 実際に現在も血液愛好症と呼ばれる血液の力を求め経口摂取を好む人達がいる。飲んでも血液は消化されないので(胃潰瘍で便が黒くなるのはこの為)正に儀式である。

 人は体験から血液に関連したファンタジーを受け入れやすいのだ。だからこそブラッドボーンの世界観にも、すんなり入っていけるのだろう。


若返りの秘術である輸血

 瀉血で得た血液を輸血する記録は古くから存在する。なにせ生命の源だ。これを移せば命は満たされ若返ると考えられて当然なのだ。

 若者の血を入れることで若返ったとされる記録や、羊の血を輸血することで若返り病気が治癒したと言う記録も残っている。ブラッドボーンの様に異種の血液を輸血する事は実際に行われていた。

 ところが、吸血鬼の伝承が有るように血液の摂取や輸血の目的は不老不死であったが、不老の効果を得るどころか輸血による死亡例が断然多く期待に反して効果は殆ど得られなかった。

 異型輸血を避けようが無かった当時では無理もない話である。そこで覇権を握ったのが過剰な体液を抜く事で病を治そうとする瀉血療法である。



瀉血療法

 古典としての医療理論である「ガレノス四体液説」と呼ばれる体液の過剰が病気を引き起こすと言う考え方がある。

 血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁この四つの体液が過剰になったとき、人は病になると考えたのだ。結論から言うと誤りなのだが、その考え方は的外れと言うほどでは無い。

 確かに幾つかの出血性疾患がある。古代において最大の死因であった風邪を引けば鼻汁(粘液)が出る。肝疾患が進めば黄疸が現れるし、ストレス等で胃潰瘍になれば便が黒くなる。

 病める人をただ観察するしかなかった当時の人達が、過剰となった不要な物を排泄していると考えたのは自然な発想だろう。

 東洋医学においても似たような側面はある。血の濃縮や水の偏りが病因と考えて、その是正を生薬を使い行うことで症状の緩和を目指しているからだ。
 ただ西洋は東洋と違い過剰なら物理的に直接抜き取れば良いと考えたのである。

 その結果生まれた瀉血療法は万能の治療法として盲信され、あらゆる疾患で瀉血が行われる事になった。しかし、瀉血療法は感染症による化膿や鬱血と言った一部の症状には効果が有ったが、多くの場合で医学的根拠はなく効果の無い行為であった。

 それでも瀉血療法は血液のファンタジーと覚醒剤の蔓延に支えられ欧米で大流行した。


輸血の復権と感染症

 盲信された瀉血療法も1900年代に入ると血液型の発見・アレルギーの発見による輸血の復権と共に衰退していった。
 この頃からABO式血液型による適合輸血の理論が完成し、治療的な医療としての輸血が可能となったのだ。

 同時に問題となって来たのが血液感染である。1965年にB型肝炎ウイルスが1987年にAIDSが発見されたる事になる。今でこそ常識となった血液感染も近代に入ってから認知されたのだ。

 民衆が血による救済を盲目的に信じるブラッドボーンの世界。それは思っている程遠い過去の話ではなく、ほんの100年前には起こり得た社会の姿である。



ヤーナムに見るリアリティとファンタジー

 古都ヤーナムは現実と虚構が混じり合う特殊な場所で、プレイするに連れて現実と上位者が創る夢が混じりあっていく。
 それはリアリティのある都市像にファンタジーが肉付けされていく姿であり、人が血液に神秘性を付加させていく過程を彷彿させる。

 ブラッドボーンはリアリティ溢れるダークファンタジーである。ファンタジーを楽しむには必ず基盤となるリアリティが必要だ。リアリティを失った物語は読む人に届かなくなってしまうからだ。
 ブラッドボーンの物語をファンタジーとして楽しむ為にも歴史的な背景にも着目したい。リアリティが私達とブラッドボーンの世界を繋いでくれるのだ。



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