人生はFPSゲーム。時々哲学。

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「たかがゲーム」の意味

 程度の差はあれどゲームに労力を割く人間は少なからず居て、私はそういう人たちが上級者だと思っている。

 ブログ書いてる自分も含めて変わり者の部類だよね。「たかがゲーム」これは自分にとって重要でないから起きる感覚で、自分は「たかがチームデスマッチ」の様にルール単位で感じる。


 逆にサーチ&デストロイのクラン戦なんかは絶対に勝ちたい。


 野良でやるサーチ&デストロイも近い感覚がある。

 途中参加だろうが。パーティー相手だろうが。負け続けようが。仲間に恵まれなかろうが。


 勝つ為にやる。


 絶対に抜けないし部屋も変えない。むしろ強い相手が味方だと萎える。

 何故なら自分にとって譲れない部分があるから。これって理屈じゃ無いんだよね。

 これは本業でも同じ様に感じる。自分の専門分野で負ける事は悔しい。耐え難い苦痛だ。これを回避するには時間や労力を費やさなければならない。労力を費やす苦痛以上に負ける苦痛が大きいからだ。


 「たかがゲーム」って当然の感覚だろう。人間はそれをやる必要性が無い物に情熱を掛ける事はない。


 私は他分野の専門職に劣っていても別に悔しくない。凄いな。よくそこまで出来るなって思っておしまい。プロに対して敬意は感じるけれど、自分がやって出来なくても「専門外だ」と思う。


 他に遣りたいことが有れば「たかがゲーム」で当然だ。部活なんかに例える人が居るが、それに相当するのはクランだろう。学業優先で「たかが部活」と言う人が部活から追い出されるのは自然の流れだが、部活外で自由にやるのまで文句言われる事はない。


 「たかがゲーム」で良いのだ。はっきりいって無理をしてまで上を目指すような事じゃない。どの分野も「廃人」が勝つのが当然だ。無駄とか価値とか関係なく遣りたいからやる。そんな人達が登り詰めていく。


 時間を費やすことは人生を費やすことである。「たかがゲーム」を越えるには楽しさだけでは無理だ。こだわりや悔しさが必要となる。

 「たかがゲーム」これはゲームを娯楽とするか、趣味とするかの境だ。


 趣味って実は苦しみを越えた先にある。苦しさを楽しめないと趣味じゃない。もしも他に趣味が無いなら「たかがゲーム」を越えて趣味にしてみるのも良いと思う。(私は映画の時間が完全にFPSに喰われた。時間を喰われる覚悟はした方がいいよ。正に人生を費やしている。)