人生はFPSゲーム。時々哲学。

ゲームの考察・感想・レビューなどを記事にしています。詳細はプロフィールへ。

【感想/評価】『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』レビュー。フロム最高峰の死にゲー、ここに見参

『SEKIRO(隻狼)』で死にゲーの極致へ

 難しい「死にゲー」と言えば『フロム・ソフトウェア』の『ソウルシリーズ』や『ブラッドボーン』を思い浮かべる人は多いだろう。それだけ人気を博し愛されてきたジャンルだ。

 そのフロムが日本を舞台の「死にゲー」を世に送り出した。それが『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』である。

 『SEKIRO』と歴代の「死にゲー」に類似点は多い。『SEKIRO』も不死の力『回生』で試行錯誤と学習を経て、困難を乗り越えるデザインとなっている。

 MAPの作りも『ダークソウル3』の『火継ぎの祭祀場』と『篝火』と同じく、活動拠点の『荒れ寺』とチェックポイント『鬼仏』で構成されている。

 さらに主要な回復アイテムである『傷薬瓢箪』や忍具の使用で消費する『形代』も『エスト瓶』や『水銀弾』と類似したシステムだ。

 一見すると従来の「死にゲー」を和風にした作品に見えなくもない。しかし、その実態は洗練されたアクションと、かつてない難易度で描かれた忍の世界だった。


面白さの源は『天誅』の息吹

 『SEKIRO』は面白い。その面白さを支えるのが探索とチャンバラ、そして忍殺の3つだ。これらはフロムが関わった忍者アクションの金字塔『天誅シリーズ』の影響が伺える。


 まずは立体的なステージを探索する面白さ。『SEKIRO』では鉤縄が使える場所こそ限定されているが、複数のルートが用意され攻略方法はプレイヤーの判断に委ねられる。

 これは目標達成するに当たり好きなルートと手段で攻略できた『天誅シリーズ』の魅力に通じる。

 真正面から挑むも良し、忍殺で静かに処理するも良し、回避して進むも自由だ。
 中でも鉤縄でぴゅーっと軽やかにステージを進むのは爽快。


 なお、じっくりプレイするステルス攻略の関係から『鬼仏』の間隔は短く、突然の落下死や初見殺しの罠は鳴りを潜めている。

 全くフロムのゲームとは思えない優しさである。  



 次に『SEKIRO』のスタミナに近い『体幹』を削り必殺の『忍殺』を決める戦闘が面白い。

 『ソウルシリーズ』の盾受けや『ブラッドボーン』のステップと違い、防ぐと同時に敵の『体幹』を削る攻防一体の『弾き』や『見切り』を使った切り結び。

 これが刀と刀が火花を散らす小気味よい演出となっている。

 例えば剣戟アクションの『フォーオナー』は一撃が重いリアルな切り結びだった。

 一方の『SEKIRO』は派手な連撃で魅せるチャンバラである。

 上手く戦えてる時のガキン!ガキン!と鳴り響く金属音と、オレンジに瞬く『弾き』のエフェクトがなんとも爽快だ。



 最後は戦闘の締めを飾る『忍殺』である。

 『SEKIRO』は雑兵ですらチャンバラをやってのけ容易に倒されてくれない。そこで忍び寄り『忍殺』を狙った方が圧倒的に楽なバランスとなっている。

 私が『天誅シリーズ』で最も好きだったのが『忍殺』だ。


 真っ向勝負だと固く手強い相手が、『忍殺』なら一瞬で散る様は格別。

 またレントゲン写真が差し込まれる演出に、当時のグラフィックでは表現できない生々しい殺意を感じた。*1

 それを『SEKIRO』は美麗で迫力ある映像で表現してくれた。

 主人公『隻狼』が魅せる研ぎ澄まされた技に込められた殺意。時に『ゴッド・オブ・ウォー』のクレイトス並みの迫力ある忍者活劇を見せてくれる。 


 時にカメラ位置に難を感じることもあるが、前述のように忍者アクションの質は高く期待に応えてくれるだろう。


 問題は、その難易度である。 


耐え忍ぶ難しさは正に修行

 フロムが作る『死にゲー』の魅力は学習と成長にある。難関を試行錯誤し突破する達成感と、確かに感じる自身の成長が癖になるのだ。

 そして難関に挑むプレイヤーを支えたのが協力プレイと、レベル上げというキャラクターの確実な成長だった。


 その点『SEKIRO』はマルチプレイの廃止のみならず、キャラクターよりプレイヤーの成長に依存するバランス調整で、難易度が跳ね上がっている。

 もしボスで詰まった場合、今までの「死にゲー」なら助けを求めたり、レベル上げで体力や攻撃力を強化すれば突破可能だった。

 ところが『SEKIRO』では中ボスや大ボスを撃破しなければ、体力や攻撃力の強化アイテムが手に入らない。

 雑魚敵を倒した経験値や銭で得られるのはスキルや忍具強化であり、手札が増えても純粋な強さは変わらない。

 結局、勝敗を決するのは攻撃パターンを覚え『弾き』と『見切り』を成功させ、相手に『忍殺』を叩き込む技術だ。

 だから活路を見出だすまで試行錯誤し、何度も挑み続けなければならない。修行か。これは修行なのか。

 
 その修行の如く難しいボス戦で繰り返される死で増える『竜咳』の被害者。寺に響くNPCの咳でプレイヤーの悲壮感も増していく。初の大ボスでは全NPCが姿を消す日は近いと戦慄したものだ。

 
 断っておくが難しいけれど理不尽ではない。練りに練られた成長プログラムであり、ボスを乗り越えれば納得の内容と順番になっていると気づくだろう。*2

 まったく、立ち塞がる大ボスを倒して得た強化アイテムの名が、『戦いの記憶』だなんてトンチが効いてる。


『SEKIRO』に諸行無常の響きあり

 ここまで『SEKIRO』が優れた忍者アクションであり、修行の様な難易度だと伝えてきた。

 最後は『SEKIRO』が描いた日本の風情ある情景と神仏の要素、その魅力について触れたい。


 世界の滅びが描かれた従来の「死にゲー」と異なり、舞台となる戦国時代は人間社会の衰退こそあれど、四季折々の自然が美しい景観が堪能できる。

 また立ち塞がる強敵は生命の躍動に溢れており、倒した後に桜の散り際の様な儚さが添えてある。

 そこには栄枯盛衰、生と死の二重構造による「侘寂(わびさび)」がある。


 神道の八百万神を模した超常的な存在の描き方も情緒的に描かれており、コズミックホラーの『ブラッドボーン』で無機質な描かれ方と比較できるのも面白い。*3

 どうやらフロムは啓蒙の次に悟りを開かせたいらしい。


 また主人公を固定したことで物語の軸が定まっているのも印象的だ。フロムの特徴だった解釈の余地を削ることで、『回生』がもたらす『淀み』や登場人物の死生観に思いを馳せることが出来る。

 これには高難易度やマルチプレイ廃止も納得である。孤独に繰り返し死にながら戦い、葦名の地を巡ってこその風情。それが『SEKIRO』の魅力なのだ。
 

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

*1:特に仕掛人 藤岡梅安が好きだったので鉄舟には痺れた

*2:だからこそ忍者修行を課せられてる気分になるのだが

*3:やや焼き直し感があるのは否めない