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【感想/評価】フロムのVRゲーム『Deracine (デラシネ)』のレビューと感想

フロム流VRアドベンチャー『デラシネ』は没入感が凄かった

 命と時間をやり取りをする『妖精』となり子供たちの願いを聞き届けるVRアドベンチャー。

 穏やかな雰囲気だが『Bloodborne (ブラッドボーン)』との関連を匂わせるだけあって、その世界はフロムらしさに満ちていた。

 ネタバレ無しでは多くは語れないのだが、時間への関与、生命の移し替え、人間の願い、プレイするとフロム脳が刺激される。

ネタバレ無しの『デラシネ』レビュー

 本作でプレイヤーの分身となる『妖精』は切り取られた時間を行き来する存在。だから目前に広がる風景は全て停止している。なるほど、古典的アドベンチャーゲーム(ADV)をVRでというテーマに納得。

 ゲームデザインの切り口は『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失』と近しい。各ステージでは過去の様子が幻影の形で表現されており、探索の順番によって過去から現在へと読み解く時もあれば、現在から過去へ遡っていくこともある。

 その停止した世界とキャラクターの語りから物語を補完し繋げていくプレイ感覚は、確かに静止画とテキストで状況を補完し把握する古典的AVDに通じるのだ。


 意外だったのが『デラシネ』は掴める物が少ないことだ。VRで手を表現した作品といえば、手当たり次第に物を掴んで投げられる『Job Simulator』の様な作品をイメージする。

 折角ゲームに手を持ち込んだのだ。思う存分使わせようとするのが自然な流れだろう。ところが『デラシネ』は掴める物を絞り、手に持ち様々な角度から観察することに重きを置いており、自然と注意深く観察し掴める物を探して手を伸ばす様に誘導された。

 その彷徨いながら掴む物を求め手を伸ばすプレイは、近いけれど遠い世界にいる『妖精』とキャラクター達の間にある隔たりを感じさた。

 
 結果として『デラシネ』の止まった世界を探索し前後の状況を推測する物語と、自身の目と手でヒントを探すVRらしいプレイの相性は抜群だった。体験を通じて脳内でパチリ、パチリと物語のピースがハマっていく快感がある。物語の性質上、初回プレイが重要なのでネタバレは避けた方が良い。




『デラシネ』のネタバレ感想

 本作はネタバレすると台無しなので語りにくい。こういう時はブログがあって良かったと思う。


フロムが本気で『かわいい』を作った

 “フロム脳”を刺激するVRゲーム『Deracine(デラシネ)』と、社長・宮崎氏が語るフロム・ソフトウェアのこれから【E3 2018】 - ファミ通.comで少女漫画をイメージしたと語られる様に、かなり『かわいい』が強調されたキャラクターで、いつものフロムらしくないことに驚いた。彼らの穏やかな日常生活を眺めていると、「あれ、なんか可愛いぞ。素直でいい子達じゃないか!よし、妖精さんが願いを叶えてやろう!」となってくる。

 しかし、最初から可愛らしく見えたわけじゃない。実はプレイ当初は整ったキャラクターモデルがマネキンの様で違和感が強かった。時間が止まった世界が舞台なので尚更に不気味である。

 ところがキャラクターの時間が動くと文字通り世界が急に変わる。色鮮やかになり動きが付き、まるで命が吹き込まれたかの様な変貌ぶりを見せてくれる。心なしか髪や衣服の質感も変わって見えてくる。気が付けば不自然さや不気味さは感じなくなり、『デラシネ』の世界に馴染んでいた。

 この頃は『妖精』が持つ命と時間を操る能力と、純粋無垢な少年少女の組み合わせに王道の展開を予想していた。だから演奏会をプレイした時、『ロージャ』と同様に蛇に噛まれた『ルーリンツ』を救うのだなと一人頷いたものだ。


そしてフロムらしい毒が牙を剥く


 ところが状況は一変する。ここからはジェットコースターの如く驚きの連続だ。突如として森へと向かう子供たち、明かされる『ユーリア』の真実。彼女が幽霊の様な存在だったとは気づかなかった。

 そして子供たちが森へ入り外界と交わった時、『デラシネ』の世界が見えてくる。子供たちに親しまれていた『妖精』は、外界では人を襲い命の時間を奪う化け物と認知されていた。世界各地で『妖精』が原因と思われる失踪事件が起きているとも知る。

 自分を慕う子供たちは『妖精』を研究するために集められた孤児であり、あの不自然なまでの素直さが被検体ゆえの過保護と無知で作られた物だと気づく。このフロムらしい毒気に眠っていたフロム脳が目を覚ます。

 幾度と過去に戻り、遂に『妖精』の指輪の力で『ユーリア』は生き返った。元の時間に戻ると『ユーリア』の生還を喜ぶ子供たちの幻影と声に溢れていた。そこに穏やかな日常が戻っていた。

 そして1階へ降りると子供たちの衣類だけが残されていた。それを見た瞬間、私は時間が止まったかの様に立ち竦んでしまった。

 幻影が見せる過去は現在から2~3時間であり、展開が変わる時は時間を跨いできた。その体験から私は油断してたのだ。事が起きるのは少なくとも「今」じゃないと。


プレイヤーの心を掴む物語


 振り返ってみれば、それは自分が傍観者じゃなく当事者になっていると悟った瞬間だった。

 物語の登場人物に感情移入するのは中々の離れ業。小説や映画と比べれば操作できるゲームが同調しやすいとは言え、自分を手放せず第三者の視点で見てしまう方が自然だろう。

 そこで多くの作品はプレイヤーに選択や決断を委ねることで同調を促している。その点『デラシネ』はVRらしく自らの目と手を介した体験を通じ『妖精』との同調を図っている。

 特に両手は「ペンフィールドのホムンクルス図」で知られる様に、第二の脳とも呼ばれる器官。人は両手で干渉することで、世界を認識している側面があり、ゲーム内で掴み干渉するのことが没入感に繋がっていた。

 それ故ラストで『ユーリア』の命を奪っていた事実に衝撃を受け、命を返し別れの時を迎えたことに満足感があった。それは自分の手で行った実感があったからだ。

 一本道の物語でお使いゲーとも言える内容なのだが、共感を押し付けない『妖精』の設定と相まって素直に登場人物となれた。本作は物語に入り込みにくい傾向がある人ほど評価が高いんじゃなかろうか。

 『デラシネ』は古典的ADVという完成されたシステムとVRを上手く融合しており期待以上の出来だった。今後フロムがVR作品を輩出するようなら、私は迷わず購入するだろう。